2010年12月1日水曜日

アイマスというデータベースとシミュラークルな存在。

動物化するポストモダン読んだので。

 アイマスはシミュラークルな存在だった。公式がアイマスのデータベースとなって、ファンがそれからいろいろとアイマスの世界を広げていった。

 まず、アイマスがシミュラークルな存在ということについて。これには異論はないと思う。アーケード時代は別として箱○時代以降、ニコニコであったり2次創作、声優からのフィードバックなどがあった。「ぷちます」が公式化されたり、ニコニコでのMADであったりなど、アイマスは公式側とファン側を隔てる壁が低かったように思う。何がオリジナルで何がコピーなのか、その違いが分からなくなるシミュラークルな存在そのものだ。

 次にアイマスというデータベースからファンが広げて行ったことについて。アイマスのキャラクターは初期の9人でほぼ2次元系に存在しうるキャラ特性を網羅している(と自分は思う)。ある意味ありきたりな個々のアイドルそれぞれにストーリーがある。公式が提供してるのはこれだけ。
 が、アイマスというゲームを消費するとき、みんな同じデータから同じゲームを消費しているのに違う見方になる。なぜか。アイドルと二人三脚でトップアイドルを目指すという過程において共通のデータに加えて自分だけのデータ、解釈が加わる。これが一番他のギャルゲと違ってたところで他のプレイヤーのアイドルはパラレルとして認識される。ラブプラスも同じで他の彼女はパラレル。コナミはたぶん意図して自分がプレイヤーのデータベースになろうとしてるんだと思う。

 で、プレイヤーごとに違ったアイマス世界観がいろいろと交流をしていくうちにおもしろいものができ、そのおもしろいものにさらにまた人が集まってきた、というのがアイマスのファンだった。共通しているのはアイマスというデータベースを元にしているだけ。様々な人がアイマスというデータベースを介してつながっていたからアイマス関連のコミュニティはおもしろかった。

まとめると
公式がデータベース(となるゲーム)を出す

ファンがそのデータベースから各々の解釈をする

各々の解釈がシミュラークルとなり、公式なのか2次創作なのかがわからなくなる

公式がそのシミュラークルを採用し、データベースに加える

上に戻る


 アイマスってこういうサイクルだったんじゃないのだろうか。ある意味ファンが育てたとも言えるコンテンツ。「わしが育てた」と思っていた人はそれなりにいたと思う。9.18を発端とする「2」に対する反発は、これまであったアイマスというデータベースを破壊して、新しいアイマス2のデータベースを用意したことだと考える。それこそ「わしが育てた」のもあるが、共通のデータベースを介してつながっていたのが、一気に壊された。公式とファン側との境が曖昧だったのがいきなりはっきりとわけられた。
 今回の騒動でわかったのは、アイマスのコミュニティは様々な見方と様々な人で構成されていたんだなということ。まさにアイマスというデーターベースを楽しんでいた。シミュラークルを許容するでもなく、データベースが同じでもないアイマス2はもはや「アイマス」ではない。そう僕は思ったのだった。

2010年11月21日日曜日

人はわかりあえない。が…

人と話し合えばわかりあえるというのは嘘だ。どんなに親しい人でもわかりあえずケンカになることがあるのに赤の他人と話し合えばわかるというのは嘘だ。

「人と話し合えばわかりあえる」という命題の対偶は「わかりあえない人は人ではない」。人と話し合えばわかる、と言う人は話して分かり合えない人を「仲間」じゃなく敵と認定するのかな。

僕は無理に人とわかりあおうとする必要はないんじゃないかと思う。Mr.Childrenの「掌」にあるように「認め合えれば」それでいいんじゃないのか。相手のことを理解しなくてもできなくても、そこに存在するのを「認めれば」いいんじゃないのか。

人はわかりあえない。が、認め合うことはできるはずだ。

2010年11月8日月曜日

日本の有人活動はどうあるべきか

宇宙工学という授業の中のレポートで
(A)有人宇宙活動で重要な技術は何か
(B)日本の有人活動はどうあるべきか
(C)「きぼう」利用で得るべき成果と、社会還元の方策
の中から1項目選び1200字以上で述べよ、というのがあったので。
選んだのはタイトルの通り「日本の有人活動はどうあるべきか」



 現在、日本の有人宇宙活動はISSでの活動のみとなっており、ISSと地上との往復には退役間近のアメリカのスペースシャトルかロシアのソユーズを使っている。自力で有人宇宙飛行を実現しているのはロシア、アメリカ、中国の3カ国のみであり、日本は衛星打ち上げ国であるが有人宇宙飛行は実現していない。JAXAは2005年にJAXA25/長期ビジョンにおいて有人宇宙飛行を実現する技術を独自に確立する、としている。日本の有人宇宙活動はどうあるべきかの方向と内容について考えたいと思う。

 まず日本がわざわざ有人宇宙飛行を実現すべきか、という問題である。某仕分けではないが「なぜ日本が有人宇宙飛行をするのか」ということである。さらに言えば、民間の宇宙旅行が実現に近づいている中で国がする有人宇宙飛行をなぜするのか、ということである。ただ人を乗せて宇宙に行き、地球に戻ってくるだけならば民間でできることであり、日本という国がやる意義は少ない。有人宇宙飛行で何をするのかということを考えるのは、日本の有人宇宙飛行の前提の問題である。

 現在、ISSにおいて日本はきぼうという実験モジュールを持ち、様々な宇宙実験を行っている。が、日本人の滞在期間は半年のみであり、きぼうの使用に関して制限がある。そこで日本独自の有人実験モジュール打ち上げ、日本人常時宇宙滞在を目指すのはどうだろうか。ISSの運用が終わるころの2020年以降においてポストISS、きぼうとなる実験モジュールを打ちあげる。その中で日本人常時宇宙滞在による長期実験の実施である。現状のきぼうの実験では半年という期間で実験を行っている。独自の実験モジュールを持つことで1年以上の長期的な実験ができるようになり、実験の自由度が上がると考えられる。また、現在ポストISSとなりうるような宇宙ステーション計画は提案されていない。継続的な宇宙環境における実験の場の提供という意味においても実験モジュール打ち上げを目的とした有人宇宙飛行は意義があるのではないだろうか。

 JAXAの前身であるNASDA時代に「ふじ」という有人宇宙飛行船構想が発表された。HTVは与圧部分を含んだ補給船であり、安全性はともかく日本独自で人を乗せて宇宙に送り出すということが現実味を帯びてきた。HTVによる技術を活かし、「ふじ」をベースにした有人宇宙計画を日本は目指すべきだと私は考える。HTVによる無人での宇宙からの帰還技術の確立などをした後、有人による宇宙飛行が考えられるが、有人宇宙飛行の実現は意外と早く、2020年代中盤にはできるのではないだろうか。

 「なぜ有人宇宙飛行なのか」ということは全ての有人宇宙計画に言えることである。無人に比べ有人宇宙飛行は安全性や必ず帰還しなければならないことから、コストが無人と比べ高くなる。そのような中で月や小惑星、火星に人を送り込むというフロンティア精神も大事であるが、そのような場合はロボットによる無人探査も検討すべきだろう。有人宇宙飛行のやる意義を考えたうえで、日本の有人宇宙活動が進んでいくことが理想である。そのように進んでいけば日本だけができるという技術が蓄積され、いずれ有人宇宙飛行において日本が最前線に立つであろうと私は信じている。

参考URL
ポストISSを意識した2016~2020年のISS計画について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/uchuu/015/003/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2010/06/25/1294545_6.pdf
JAXA2025/長期ビジョン
http://www.jaxa.jp/about/2025/index_j.html

2010年10月26日火曜日

日本人が海外に出ないのは飯のせい

 という説を僕は日本人が海外になかなか出ない理由として挙げたい。

 ハーバードのアジア人留学者の数で日本人がほとんどいないなど、日本人が中韓に比べて海外に行かないというのはよく言われている。このままではだめだ、日本人よ海外へ出よ、と。

 それでもなかなか海外に出て行かないわけだけど、その理由の一つに飯があると思う。今、某実習でハワイにいるんだけど、一緒に来たやつの中でこっちの飯に順応出来てないのが結構いる。アメリカのSサイズなのにLサイズとかサンドウィッチの中にカイワレ大根入ってたりだとかが苦手らしい。

 で、なんでそうなのかと言うと日本の飯のクオリティが高いから。「日本でだとまずいというのがほとんどない。まずいじゃなくて好みが違うというだけであって、アメリカのまずいはクオリティが低いまずい」とカイワレ大根が入っていたサンドウィッチ食った人は言ったわけだけど、まさにこの通り。日本はかなり飯がうまい国だし、世界中の料理を一定以上の水準で食べることもできる。

 まあ、そんな環境で育つわけだから海外に留学や働きに出るなどしてそのマズ飯をずっと食うというのが日本人にとってはつらいのではないか。だから日本人は海外にでない。そういう風に思った。今の時代、子どものころから海外旅行する人が多いから海外が日本と比べて飯がまずいということが知られるようになったことと、日本がそれなりに豊かになって海外でわざわざマズ飯食うより日本の美味しいご飯を食べて勉強したいということなんだろうと思う。

 ちなみに僕はアメリカの食事に完全に順応してます。むしろこっちのほうがいいと思う時すらある(笑) デブにやさしすぎる社会ですね。というよりあんなもん食ってたらそら太るわ。

2010年10月25日月曜日

アイルトン・セナ ~音速の彼方へ 感想

見てきた。8月にカラフル見たときにこの映画の存在を知り、前売りだとポスターももらえることから前売りを買ってたので。

日比谷のみゆき座の16時50分の回で見たけど、公開3週目の週末でもかなり混んでた。周りはほとんど30代から40代、若い人もちらほらいた。

http://senna-movie.jp/
映画は有名なF1ドライバー、アイルトン・セナのドキュメンタリー。自分は生で見たことない世代だけど、母親がセナのこと好きで、それにつられてF1見始めたのもあり、セナには興味を持っていた。自分の部屋には94年ウィリアムズのレーシングスーツ着たセナのジグソーパズルもある。

映画はカート時代の映像から始まる。トールマン、ロータス、マクラーレン、そしてウィリアムズへのF1キャリアをテレビ映像、ファミリービデオでアイルトンセナという人物を描いていく。純粋にスピードを追い求めるセナ。対照的なプロストが近くにいたことで2人の違いが際立っていた。誰よりも速く、レースに勝つということにこだわっていたという印象だった。

F1が好きなら生で見てない世代でも楽しめると思う。セナとプロストの人間模様があったから80年代後半から90年代前半にF1全盛期を迎えたのかなあ、と思った。もちろん生で見てた世代なら懐かしさもあって、おすすめできる。

80年代90年代のF1を追体験できてよかった。F1好き必見の作品。

2010年10月23日土曜日

「空気」こそ「けいおん!」がヒットした理由

京アニ八田社長が語る“ヒットの理由”とは?「けいおん!」監督も登場した講演レポート
http://b.hatena.ne.jp/articles/201010/1809
この中でけいおん!の監督がインタビュー受けてたのを読んで。

けいおんについては1期始まった時、1話見てクソつまんねえと思ったっきりですが。ここまでヒットするとは思ってなかったわ。

で、本題のけいおんがヒットした理由について。ちょくちょく考えたりtwitterでpostしたこともあったかもしれないが、丁度いい機会なのでまとめようと思う。

ヒットした最大の理由のキーワードは「空気」。女子高生の日常の空気を描き、視聴者はその空間の「空気」として存在していた。これにつきると自分は思っている。内容がないよう、と叩かれることがあるのも当然で「けいおん!」はキャラクターとその中の空気を楽しむことに特化したアニメ。むしろストーリー性を排除することでキャラクターのかわいさに焦点を絞ったとも言える。

まあでも女の子しか出ないアニメってのは他にもあるのに、なぜ「けいおん!」がここまでヒットしたのか。これは京アニ女子部とも言われるぐらいスタッフが女ばかりでその女だからこそ女子高生の表現がうまくいったから。それに加えて京アニのリアルな背景を加えることで、この「けいおん!」という世界がありそうな世界ということがあったからじゃないのかな、と。

>この子たちが生きている、ということを第一においた演技付けにしました。

監督もこう言ってるしね。本当かどうか知らないが、「けいおん!」は京アニが絶対ヒットすると思って作ってたという話を小耳にはさんだけど、まあ「らき☆すた」のヒットを受けて、あの女の子だけのゆるゆる空間に特化した「けいおん!」がヒットしたのは必然だったのかもしれない。

ここ数年くらいの傾向としてある、考える必要がなくアニメの世界の「空気」を楽しむアニメの代表が「けいおん!」だと思う。

2010年10月12日火曜日

退屈なのは世の中か、自分か

リコーのキャッチコピー、「退屈なのは世の中か、自分か」New angle,New day

最高に刺激を受ける。
世の中を退屈と思うのは、(自分の見てる)世の中というのが自分を写しだしてるからであり、世の中がつまらないということは自分がつまらないということか。

「刺激が欲しけりゃバカニナレ」

おもしろい人になりたい。

2010年9月22日水曜日

アイマス信者はどれくらいいて、どれくらい金をかけたのか

 バンナムがどれほどアイマスに金掛けてきたやつらを切ろうとしてるのか。アイマスオタの人数、使った金額について考察してみる。

 まずアイマス信者の人数について。これは全部買いとかしてきて「身を削るようなお布施」をしてきた人を信者として、その人数。

 アイマスCDの売り上げは大体8千~1万3千ぐらい。ドラマCDは大体5千ぐらい。ここから信者数を考えると、本当にアーケード時代からやっていて関連商品を盲目的に買うガチ信者の数は5千人程度と考えられる。まあ、CDだけ買うのも含めれば1万人程度。

 アイマスライブの会場のキャパが1万人以下で5千人程度なことを考えてみても妥当。アーケード時代に出たCDも5千程度の売り上げ。

 関連商品の売り上げは60億円だそうでこれを単純に5千~1万で割ると60万~120万。アーケード開始が5年前だから年間12万~24万程度を費やしてきたことになる。

 無印のDLCの売り上げは3億円だそう。無印のDLCを全部買った時の値段は68,325 円。約7万だとしてこれで3億を割ると約4000人。

DLC全部買い+CD全部買いなら余裕で年間10万超える。これにフィギュアやライブ限定商品全部買いを加えて行けば15万~20万ぐらいか。

 なんかごちゃごちゃしたのでまとめる。
・アーケードからやっているガチ信者の数は5千人程度と推定
・関連商品売り上げ、DLC売り上げから推定するに彼らは年間20万円程度アイマスに使い、この5年で100万円は使った。月平均なら1万5千円程度。


 アーケード時代はプレイ料金だけで月1万とかざらで10万行くのもあったらしい。で、今アイマス2関連で騒いでいるのがこんな風にアイマスに金を使ってきた方々。

 なんか今回の話題で新規獲得できて信者涙目wwwとかあるけどこのガチ信者が1000人離れるだけで1万人新規を獲得しなきゃいけないんだけれど、勝ち目があるんっすかね。

 ちなみ自分がどれだけアイマスに金使っているのか調べたら合計6万(2009年まで)だった。こないだの5thライブ物販含めても約10万とかどれだけ、自分がニワカでオタクぶってるだけなのかがわかりますな。というか社会人のやつらの財力が半端ない。というかアーケード時代からいる人はマジリスペクト。

アイマスに使った総額を計算できるサイト

Pだけを殺す機械かよォ!
http://mugenmasakazu.plala.jp/cgi-bin/nijiuraIDOLMASTER/imascalc.cgi

 全部チェック入れて計算すると約400万円になるという。まあ、限定品もかなりあるから本当に漏らさずに全部買ってるって人がいるのか、というのは知りたい。


 もう1回書くけど今、アイマス2関連で騒いでるのは、この年間10万もアイマスにつぎ込んできた人たちだからね。ただオタクが騒いでるのとは意味合いが違う。

2010年9月20日月曜日

ぼくのかんがえたアイドルマスター2

ぼくのかんがえたアイドルマスター2

舞台:1と同じ時期のパラレルワールド
アイドル:無印の10人に真美響貴音を加えた13人。ソロデュオトリオ選択可。
プロデュース期間:2年間(1年も可)

システム:
ファン人数を増やしてトップアイドルを目指す。
オーディションというシステムのオフラインでの廃止、代わりにコンサートやフェスなどでファンを増やす。
そのかわりにオンラインでオーディションによるトーナメントの開催。優勝者には専用の衣装などのプレゼント。オーディションは事前にどこでどの種類(Vo,Da,Vi)どれをアピールするのか指示。オーディション中に指示できるのは思い出アピールのみ。
ファンを増やす方法としては同じようにして来た(あいさつ回りとかでもらった仕事とか?)仕事とかのイベント(つまりコミュ)でもファン人数は増えるファン人数をオーディション相当にまでいかなくても8割ぐらいに。
1週間単位で動く(○月何周目などの表示)
誕生日コミュの導入(もちろんランクとかによって反応が違う)
2年目あたりでイメチェンコミュ、イメチェンすれば茶髪美希とかショートのあずささんとかになる。もちろんならない選択肢も可。
学校が休みの8月とかだと仕事が出来る数が増える(あずさはどうすんのかって話になるけどね)
ダンスレッスンや歌詞レッスンにおいて曲で覚える場所の指示(サビ、メロディ1とか)
レッスンではSPみたく自主レッスンということで操作しないことも可能。その場合はランダムだけど、ダンスうまいアイドルはダンスレッスンのパフェ取りやすいとかそういう傾向もつけたい。
Vo,Da,Viどこを伸ばすかでどういうアイドルになるか変わる(高ランクになって来る仕事が変わってくる)


 いやまあ、適当に書いたけど、自分がアイマス2に求めると言うかこんなのがあったらいいなあというベースになる2の目標として↓がある。

2の目標:据え置きならではのやりこめる要素をもりこむ、作業ゲー感をなくす、アケのような緊張感を入れる、グラフィックの向上、プロデュースする上での自由度を上げる

 まあ、一番やってほしい(ほしかった)のはゲームシステムの変更かな。結局のところアーケードのシステムがベースとなって移植したから据え置きハードで展開するならゲームシステムがあってないというか、据え置きの良さをもっと活かすべきだと思う。

 あと、アイドルマスターってゲームはギャルゲーでもあり、対戦ゲーでもあり、育てゲーでもあるんだよね。究極のところ、ギャルゲー目的でやってる人も対戦ゲー目的でやってる人も育てゲーでやってる人も全員満足するようなシステムがいいんだよね。ギャルゲーならそれこそコミュをずっとやるだけとか、対戦ゲーならオンラインで全国のプロデューサーと戦うし、育てゲーならアイドル育て続けるとか、自由度を上げたい。ストーリーモード(笑)的に強制なのはいらない。100人のプロデューサーがいたら100人の特徴のあるアイドルが出来上がるシステムがいい。

 ラブプラスがすごいのは限られたデータでマンネリ感を出してないとこなんだよね。同じキャラを何度もプロデュースしても毎回違うように成長するとかして、毎回新しい発見がないと結局のところどっかのデータで出てたらしい「1人あたり2-3周程度しかしてない」ことになるわけだ。やりこみと言うか、飽きさせないシステムを。

 オーディションシステムについてなんだけど、あれ個人的にはすごい違和感がある。実際オーディションやってる最中にどこアピールしろとか指示できるのかよ、的な。始まる前にアイドルに3回の審査の1回目はVoが4、Daが4、Viが1ぐらいアピールを指示する方がなんていうか戦略性があって面白くなりそうな気が自分はする。対戦相手との読みあいみたいなね。思い出ボムで一発逆転的要素はあったほうがいいけど。オーディションの面白みはやっぱり対人じゃないと面白くないじゃないの? ならいっそオフラインプレイならオーディションなくしてコンサートなどの仕事をすることでステージを見ると。オーディションはオン対戦限定。月1ぐらいで公式がトーナメント開催、優勝者に衣裳やアクセサリのプレゼントとかしたりしたらかなり面白いと思う。

 あとレッスンでもこの週は曲のダンス、歌詞のこの部分覚えるとかダンス、ボーカル能力は曲依存にしたほうがいいと思う。難しい曲なら覚えるのが難しいのは当然じゃん。

 プロデュース期間を2年に延ばしたのはリアリティの追及。実際、1年で100万人もファン稼いでトップアイドルとかいねえだろ。なら、2年にして途中でアイドルの誕生日コミュを入れたり、イメチェンコミュで髪型変更とかしたりして2年間二人三脚で一緒にトップアイドル目指す方が思い入れが強くなるかと。

 あ、全然書いてなかったけど876の面子について。あれ、DSの世界では765組が先にアイドルデビューしてるんだから、なんかの仕事で鉢合わせ→876組にアドバイス送るなどでコミュ→コミュとかでつながりができるとコラボしてステージ一緒に出れるとか。4th,5thポジションで。

 なんかディレ1のインタビュー見ると「アイドルたちを先進ませて新しい面を見せたい」とか言ってるけど、違う気が自分はする。5thでガミPは「増築状態のアイマスの世界を整理します」と言った。ならこれまで増築してきた母屋を一旦捨ててその横にちゃんと整理した母屋を建てろと。アイマス展開していくベースとなる世界を見せるべきじゃないのかと。まあ、それだと予算が取ってこれなかったと言ったらそれまでだが。


 こんな風に「ぼくのかんがえたアイドルマスター2」とか言って理想みたいなこと書いてますが、正直な話竜宮小町組がプロデュース出来て、AKB商法やめたら買いますがね。一旦アイマス関係離れようと思いますが、竜宮小町組がプロデュース出来てAKB商法やめたら戻るので教えてくださいね。

2010年9月18日土曜日

765プロに勤めているんだが、もう限界かもしれない。

ここ2、3年の間夢中にさせてくれてありがとう、アイドルマスター。

グッバイ、アイマス。


いや個人的には男が出るのはまあ、別にどうでもいいんですが、竜宮小町組がプロデュースできないこととCDがあからさまなAKB商法を取り入れた時点でもう無理だった。一気に冷水ぶっかけられて熱が冷めた。

 まず、竜宮小町組のプロデュース不可について。アイドルマスターはみんなまとめてアイドルマスターだった。貧乏だった765プロから、二人三脚、三人四脚、四人五脚でやってトップアイドルにのぼりつめたんた。けれども、アイドルを選ぶ段階で選ばれないアイドルが必ず出た。だから別の機会ではその選ばれなかった彼女たちをプロデュースして全員トップアイドルにした。
 2のテーマは「団結」。The world is all oneを聞いて一丸となってトップアイドルを目指すのだと思ってた。どんな風に組み合わせてユニットをつくるか考えるのが楽しかった。でもやっぱり、自分がプロデュースしている女の子をトップアイドルにするには仲間だけど戦って勝たないといけない。
 だから、何回もアイドルマスターの世界をループしていた。

 そのループの中でさ、竜宮小町の4人はプロデュース待ちの9人から3人選んでトップアイドルにしようとすれば、必ず負けるわけだ。どんなにループしようとも竜宮小町は「乗り越えるべき壁」的存在でしかないんだよ。なんで竜宮小町の4人だけがずっと「乗り越えるべき壁」な役割を演じ続けなければならないんだ?

 どうしてアイドルをプロデュースするゲームでプロデュース出来ないんだ?なんで?

 次にAKB商法について。MA2の売り上げ次第でThe world is all one!!を誰が歌うのか決める。完全にAKBのパクりじゃねえか。死ね。みんなまとめてアイドルマスターで大好きだったのになんで公式がそうやって人気不人気を無理やりつけようとし始めてんだよ。みんな大好きで一緒だったから全部買いとか出来たのにそうやって人気不人気わけるとかファンの間でもギスギスするじゃねーか。団結(笑)。

 個人的には男がライバルで出てくる分にはかまわんがな。別にどうでもいいといった感じ。自分が一番重視してるのは、「みんなまとめてアイドルマスター」って部分だ。

 あと、ゲーム性もSPのストーリーモードがベースになってるらしいのでクソですね。もっとフリーで自由度の高いプロデュースがしたかった。プロデュースしていくうちにボーカル重視アイドル、ダンス重視アイドル、ビジュアル重視アイドルにわかれるとかね。

あー、これでもうMA2関連も買わんしもちろん買うつもりだった2も買わん。5thライブのBD買って足洗おうと思う。

マジでバンナムが「アイマスにここまでハマって金使うとかきめえ^^鏡見ろよ^^現実に戻れよ^^」と煽ってきたので真面目に物理学類の学生らしく勉強して生きて行こうと思う。

2010年9月11日土曜日

次に来るサービス

知り合いにはよくしたり顔で「次は○○が来る」とか言ってるので。生暖かく見守ってください^^


1.Facebook
http://www.facebook.com/
世界最大のSNS。今はまだ帰国子女や海外の知り合いがいる人を中心に日本では広がっているけど、これから日本でも広まると思う。mixiがホーム画面を最近よく変更してるようになんか迷走感があるので、個人的には見切った。Facebookも日本市場開拓へ本腰をいれるようだし、どうなるかな。日本のSNSは基本携帯(ガラケー)が中心だから携帯ユーザーを取り込めるかが鍵と思ってる。

2.Foursquare
http://foursquare.com/
GPSを利用してその場所に「チェックイン」するゲーム?みたいなサービス。こないだmixiが始めたmixiチェックインそのまんま。まあ、mixiがパクったんですけどね。ただmixiチェックインはMayorみたいのあるのかね。Mayorというのはそのチェックポイントに一番するとなれる。ポケモンのジムバッチみたいなもんかね。もちろん他の人が一番チェックインするとMayorは移動する。まあ、mixiチェックインが国内系のサイトとかなり連携してるからmixiからはもう流れて来ないかもな。

3.Tumblr
http://www.tumblr.com/
写真とかいろいろな記事がdashboardに流れてきてreblogかlikeを決める。スクラップブックみたいな感じ。こないだ高校の同窓会行った時、Tumblrを話題にしたら知ってる女子が2人もいて胸が熱くなった。まあ、ただこれは上の2つと違って著作権ばりばり無視するようなサービスだから大手を振って流行るまではいかないだろうな。おもしろい。
ちなみに自分のページ
http://tgrr.tumblr.com/
http://tgrr-picture.tumblr.com/

こんなもんっすかね。他に面白いwebサービスあったら教えてください。あ、Evernoteはやろうかと思ってたけどこないだのデータ消失事件みて見送った。あとsmart.fmとかceron.jpとかっすかね。ブクログとかも手を出してみたけど、結局放置だしなー。

まあ、流行ってから「俺、これ流行る前からやってたわw」(ドヤ顔)したいってことです。

2010年9月9日木曜日

アイマスについて

メモと言うか愚痴のようにアイマスについて語りたいと思います。気持ち悪いですね


アイマスはキャラゲーとか結局くっつくんだろ?とか言うけど、違うんだよ。アイマスはアイドルになりたい女の子の夢を叶えるのお手伝いするんゲーム。で、その過程でアイドルがこっちに好意持ってくれるというわけで、女の子と仲良くなることが目的じゃねーんだよ。女の子とさっさくっつきたかったら他のギャルゲーやれよって話。

女の子と二人三脚でトップアイドルになろうとする「過程」を楽しむゲームだと思うんだよね、アイマスは。レッスンして営業してオーディション受けて一喜一憂し、ランクが上がるごとに一緒に喜ぶ。だから、SPのストーリーモードとか2とかこの目標に必ず進め!って強制されるのはあんまり好きじゃない。 「過程」を楽しむゲームだから迷ったり失敗したりしたいんだよ。100人のプロデューサーがいたら100の道があって100人のトップアイドルができるわけで、画一的にこういうトップアイドルになれ!ってのはどうかと思う。

あとオーディション制度を筆頭に2だとゲームシステムは変えてほしい。アーケードは1回1回プレイを区切る必要があったから1週ごとの活動、となっているけど、据え置きなんだからやりこめるように時間は連続的に流れるようにしてほしい。というか活動期間を2年ぐらいとか長くして成長を見たい。人気が出てきたら毎週何曜日はテレビの収録とかスケジュール管理を楽しくしてほしい。友人に一度SPやらせたときあったけど感想が「パワプロのサクセスみたいだね」だった。そこなんだよ、結局能力上げての作業ゲー感がアーケードからだけどあるんだよ。能力上げというかそういうのを作業ゲー感と感じなくさせてほしい。無印SPはアーケードからのシステムの移植なんだから据え置きの利点を活かして1から開発してるんだから、いいシステムにしてほしい。

2への愚痴みたいな希望になったな。この調子で行くわ。

あと個人的には最後アイドルとPがくっつくのはあんまり好きじゃないんだよな。春香が好きだからかもしれんが。やっぱりアイドルとプロデューサーという関係であって、春香EDみたく一旦リセットしてから新しく関係構築がいい。春香好きだからですかね? 

やっぱり「みんなまとめてアイドルマスター」なんだよなー。そこを竜宮小町とかで公式が勝手に分けてってのはなー。公式でそんなユニット固定するなよ、こっちの妄想の余地がなくなる。というか竜宮小町組があからさまな不人気狙い撃ちだしなー。あと中の人事情も絡んでそうだし。

なんていうか自由度あげてほしい。まあ育成ゲーかつギャルゲーかつ対戦ゲーみたいないろいろなジャンルが混じってるから完全に満足するゲームシステムは難しいだろうがなー。

アイマスの各キャラについても語ろうかと思ったけど気持ち悪すぎるのと疲れたからやめる。

アイマス最高だわ。

2010年8月30日月曜日

怠惰のススメ

有名な言葉
有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀に、無能な怠け者は兵士に、無能な働き者は処刑せよ。

 日本人は無能な奴まで勤勉さが求められているから1人当たりGDPで日本より休暇の多い欧米に負けてるんじゃないの? 無能な奴が頑張って仕事するが失敗→有能な奴が尻拭いで本来の能力発揮できずというパターン。頑張るのはエリートとか有能なやつらだけでいいのに、無能な奴らまで頑張っているのが日本社会。有能な奴らがもっと力を発揮したらまだ、日本は輝けると思ってる。

 勤勉に働いても実は無能かもしれず、有能な奴の足を引っ張るぐらいなら怠けてるほうが迷惑かけないんじゃないの? というのが自分の考え。いいじゃん、上からの指示を適当にこなすので。万が一有能だったら怠けていても輝いて能力発揮できるから。有能なやつはどこにいても輝ける。

シェイクスピアも「急ぎの仕事は忙しい奴に頼め」と書いた。忙しい奴は有能で仕事を終わらせるのが速いから急いでる仕事は忙しい有能な奴に頼め、ということだ。有能な奴は活用してやれ。

 ま、というわけで僕は怠け者なわけです。有能なみなさん、頑張ってください。

2010年7月16日金曜日

積極的日本破滅論

ここ最近、日本の将来に関して暗い話題が多い。将来は没落するのみだとか借金でギリシャみたくなるだとか。まあ、バブル後の失われた10年がいつの間にか20年になりそうな気配だから仕方ないと言えば仕方ないが。

自分はあえて、日本をこの破滅へ積極的に推し進めるべきだという考え。

なぜか。

日本人は自由にものを創りだすことより改良することのほうが得意だと思う。そして、改良することが得意であることから抜本的な改革というのは自らの作用によっては期待できないのではないか。ならば、一度ぜーんぶリセットしてどっかうまく行っている国のシステムを真似、日本仕様にカスタマイズしたほうが将来的な繁栄が得られるのではないだろうか。

これには前例が2つある。明治維新と戦後の発展だ。

明治維新はこれまであった江戸幕府のものを全て捨ててリセットし、外国からシステムを輸入し(文明開化)、西洋に追いつこうとした。

第2次世界大戦に負けた日本はアメリカに占領され、これまであった制度を全て捨ててリセットし、アメリカの方式を受け入れ、日本仕様にカスタマイズし、今に至っている。

世の中ってのはその時その時にあった社会のシステムってのがあって、戦後日本はそのシステムにまさにぴったり合ってここまで成長できたわけだ。

で、何度めの産業革命かしらないが、ITによって間違いなく今の社会は変わり始めている。そろそろ、この日本のシステムも合わなくなってきている。いろいろなものを変えなければ言われているように没落であったり破滅の道へ進む。

もう一度繁栄するためにはどうしたらいいか。オバマが言ったように「CHANGE」しかない。けど残念かな、日本は自ら変わるというのは民族性からして期待できないと思う。迫られないと変われない。まあ、それでここ100年ぐらいはうまくいってるからある意味本気出して変わったら期待できると思うがね。そういう意味で破滅はさっさと来たほうがいい。前提として日本人の底力は期待してるから。改良して使うというのがうまいからパッチをあてて対応しようとしているのだけど、それだとシステムから特化したところに負けてしまうからね。

自ら変わろうとしないなら黒船の到来を待つか、さっさと破滅してリセットしてやり直したほうがいいよ。

2010年7月13日火曜日

選挙権は赤ちゃんから

選挙権は赤ちゃんから与えてみてはどうだろう。小さい子は親がその分投票権を持つとして。子どもほうがより長くこの国で生きるのだから、その分の票を傾斜して親に与えてもいいんじゃない?
もちろん中学生ぐらいで、ませたやつなら自分で投票してもいい。

子どもは判断能力がないっていうならボケた老人から投票権取り上げろよ。老人ホームの投票とか危ない臭いがするけどなー。施設長立ち会いのもと投票ってあるけど、ボケてたならいくらでも改ざんできそうな気がするでもない。( http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000001800/hpg000001743.htm)

まあ誰だったかの、「若者が政治に興味を持ってないのは世の中が平和な証拠」ってのがあったけど、何だかんだで日本は平和だと思うわ。若者の政治離れとか言いますが、上がまともならそこまで問題じゃないと思うけどね。あ、上が問題だから今問題になってるんですね^^

某野球選手は「ベンチがアホやから野球がでけへん」と言ったらしいけど、「国民がアホやから政治がでけへん」だと思いますがね。

2010年6月29日火曜日

天才による発展

 物理と数学は天才による発展だと思う。よくある理系文系論争において理系が文系を軽視しがちな理由は理系学問が天才による発展で文系が秀才による発展だから。

 ニュートン、アインシュタイン、ラグランジュ、ガウス…と学問において、次々と偉大な結果を残した人の名前が挙がるのは物理と数学だけ。特に文系の学問は名前は挙がるものの、次々と名前が挙がる、というわけではない。

なぜか。

 それは数学と物理は天才による飛躍を繰り返してきたから。なめらかに発展してきたわけではない。発見であったり、新たな概念であったりによるブレイクスルーを繰り返して発展してきた。そのブレイクスルーを起こすたびに起こした人の名前が物理学史であったり数学史に刻まれる。だから他の学問に比べ、学問の発達に尽くした人の名前がたくさん挙がる。

 また、学問の性質によるところもある。理系学問は明確な正解が存在する。自然の中からの発見、それを説明するような理論と、ただ一つに決まることが多い。一方文系学問はこれが正解ということがない。人間的なことを扱うので、これが正解ということがない。何か新しい解釈をしたとしても、解釈の一つとして処理される。だから名前がなかなか残らない。

 僕は理系は天才が切り開き、文系学問は秀才が切り開いてきたものだと思う。数学と物理は、こつこつと積み上げて行ってもあるとき、一気に崩れて新しいものに変わる。コペルニクス的転回、量子力学など。文系学問は歴史系はともかく、文化系や社会系のものはこれまであった概念にさらに別の概念を重ね合わせていく、という感じがする。

積み上げて壊して積み直しの理系、積み上げ続ける文系。

 数学と物理が難しい(と僕が勝手に思ってる)のは、今学んでいることは過去の天才たちが築き上げてきたたからで、それを凡人である僕が同じように学ぶのは大変だということだ。式展開一個取ってみても考えて考え抜いて初めて式展開が理解できることがある。

 何が言いたいかと言うと物理大変です。

2010年6月27日日曜日

かわいいは正義

よく女は計算してるとか腹黒いとかいうけど、いいじゃんって思う。
かわいいは正義。女は愛嬌。

いやだって、そう言ってるお前らだってどうせ本当の自分に仮面をつけて生きてるんだろ? いいじゃん、多少計算だろうがかわいければ。

例えばさ、資産家の男がいてそいつの資産目当てで計算高い女がすり寄っていったとする。周りから見ればドン引きだけど、本人がそれで幸せならいいんじゃないんですか。

だいたい他人から見ればどれが本音で建前とか本心なのか演技とかわかるわけないじゃん。そんな風に計算とか疑ってるほうが疲れるだろ。

あと、天然な子って可愛いよねって言った後返される「それは計算だろ」ということについて。
いやそれは逆にご褒美だろうと。天然を装って実は計算高いとかマジで背中ゾクゾクするレベル。天然と腹黒いというギャップがたまらない。で、それをみんなが知らなくて自分だけが知ってるとかだったりするとさらにたまらない。仮面優等生とかまじであり。
つまり、アマガミやりたい。

 アイマスで好きなのも「あざとい」とか揶揄されることもある春香と「高慢」な伊織だったりするから仕方ないね。え、それってドMなんすか。知りません。

CMでもやってんじゃん。「かわいいはつくれる」って。あれが真理だよ。

2010年6月26日土曜日

2流研究のススメ

中学の国語の文法の授業の時に読まされた文章。
「2流の研究の勧め」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1290/end.html

 今の研究と言うのは企業が莫大な金額と人材をかけて科学をするというのが主流である。個人が立ち向かうには大企業が研究してる超一流になることが見えてる一流研究ではなく二流研究を進めるべきだ。科学はある意味ギャンブルなのだから。

 というのがこの文章の大体の要旨。中学の時に読んで以来、自分のポリシーになってる。まあ、能力がない自分みたいな二流の人間が成果を上げるには、分野が拡大しているところか二流研究で独自研究をするしかないなーと思ってる。

 やっぱり自分みたいな無能ができるやつらと同じフィールドで争ってもなかなか勝てないわけだ。日経BPで江崎玲於奈は

 ―― 創造性は左右するポイントはどこにあるのでしょう。

 江崎 新しい分野を見つけることです。そうすれば二流の人間でも一流の仕事ができる。私が大学を卒業した1947年は米国のベル研究所でトランジスタが発明されました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20091228/211927/?P=3

と言ってる。
 
 もちろんある程度のところまでは基礎をみっちり鍛えないと応用としての「2流研究」はできないけれども。剣道での「守破離」、教えを「守り」、型を「破り」、師から「離れる」。ある程度勉強したり実力付けたりしたら、どっかで飛び出ないと自分がいる意味がねーと思うんだけどな。

 まあ、そういう考えを持ってはいるけどまず自分は勉強しなきゃいけないけどね。テスト期間中なので。

2010年5月30日日曜日

twitter失望論

twitterを題材にしたドラマも始まり、ここ最近一気にメジャーになった感のあるtwitter。
2008年1月に初めて、身内でワイワイやってた頃からは想像もできないような世界が広がってきた。
が、同時にここまで人々はメディアリテラシーというものがなかったのか、という失望も僕には広がった。

拡散RTという名のデマの拡散。某議員秘書のサノバビッチ発言。殺人などの犯罪予告。
もちろんパーセンテージではこれまでと変わらないのかもしれない。人が増えたからこういうものの絶対数が増えただけかもしれない。
けれども僕は、全世界の人々の脳や考えていることとつながるというtwitterに見ていたことが冷めてしまった。

twitterによって人々は自分自身がメディアとなる可能性を手に入れた。
だがそれは中身のある人が有益な情報を流すことであってだ。
結局のところ何も考えず、流されて、そして失言を言う。
僕たちのつぶやきは世界とつながっているのに。

前に何かでtwitterで自分のつぶやきを全世界に発信するなんてよっぽど自己顕示欲がある人だろ、というの見たことがある。
まさにその通りで、twitterは自分が有名人になったつもりでつぶやくのが一番良い。
インタビューされてるつもりでつぶやく。
今の時代ほど一般人の個人に注目のあたる時代はない。

知り合いは「自分の一挙一動を他人に知られるのが気持ち悪い」と言ってtwitterをやっていない。
これはこれで正しいと思う。自分が有名人になったつもりでプライバシーがなく、影響力があると勘違いしてつぶやく。
つぶやかない、ということも情報になる。

小田島隆は日経ビジネスのコラムで「twitterは失言ツールになりうる」と言った。
まさにその通りで、地位のある人のほんの少しのつぶやきが失言になる。

twitterは人々の考えや脳と直結するツールだと思う。
良くも悪くもtwitterというのはその人の本質が見えてくる。誰にも見てないように勘違いさせるシステムのtwitterだからこそ、その人の心からのつぶやきが見えることが多い。
だとしたら、世の中に失望すべきか。

twitterはアーリーマジョリティーが流入している時期。昔のようには内輪で盛り上がるようにはいかない。
的確に使えば人々の感じていることを得ることが出来るし、うまく使えば人々の愚かさが目につく。
結局は自分のfollowの仕方次第ってことか。

2010年5月17日月曜日

筑波大学のAC入試について

大学説明会でAC入試について説明する記事を書いたのだけど、文字数で削ったり表現を変えたりしたところもあるので、完全版を上げておこうかと。
AC入試についてと僕がどのような対策をしたのか、アドバイスなどを書きました。


[AC入試で合格する後輩へ]
筑波大学にはAC(Admission Center)入試というのがあるのは知っていますか? 9月初旬ごろに願書提出が始まり、10月終わりには合格発表、と筑波大学で一般はもちろん推薦よりも早くに合格できる入試制度です。いわゆるAO入試と呼ばれているものです。周りが必死で受験勉強している中、筑波大学に合格を決める。なんておいしい話なんでしょう。もちろん僕はこのAC入試で物理学類に入学しました。(2009年度入学)
 僕も私もACで入学したい、そう思った人もいるでしょう。が、そこまでこのAC入試は人数を取りません。おいしい話には罠がある。僕の年の物理学類AC入学者は1人、つまり僕だけでした。2010年度は2人だったそうです。これまで高校でなにか研究等をしておらず、筑波大学に一般に合格する実力の持ち主の人は素直に受験勉強に邁進することを僕はおすすめします。
 さて、AC入試に応募できるような高校で研究をやっていた人向けにこれは書こうと思います。もちろん学校でやっていた研究で大丈夫です。レベルはそこまで気にしなくてもいいでしょう。AC入試は書類による1次試験、面接による2次試験にわかれています。それぞれについて説明と共にどのようなことをしたかについて話しましょう。
 ますは1次試験です。書類による試験で、800字程度の志望理由書と自己推薦文を書いて送ります。もし合格していたら101日あたりに1次試験を通過したという手紙がくるでしょう。ここがAC入試での一番の山場です。志願者の半分以上、学類によっては8割近くがここで落ちることになります。
 志望理由書についてですが、とにかく熱意が伝わるようにしましょう。なぜこの研究をしようと、またなぜこの学問に興味を持ったのか、なぜこの学類に入りたいと思ったのか。このことについて僕は書きました。
 次に自己推薦文についてです。これは文量の指定はありません。自分がどのような研究、活動をしてきたのか、を中心に僕は書きました。また、それらの活動を通してどのような経験をしてどのように考えたのか、についても加えました。
 そして、これが一番重要なのですが、学校の先生に見せて添削してもらいましょう。自分のやっている研究が理解できる先生がいいでしょう。もちろん親でも友達でもいいです。大切なのは書いた志望理由書、自己推薦文を他人に読んで添削をしてもらうということです。自分で書いていると何を言っているのかわからない文章になることがあります。そうこの文章のように。僕は添削してもらう→書きなおす→添削してもらうを23回ほどしました。
 もしも1次の書類を通過したら次は面接です。学類によっては合格通知が金曜に来て次の月曜というところもあったそうですが、僕の時はだいたい10日後だったので面接への対策が出来ました。
 物理の先生のところに行き、面接の練習をお願いしてつきあってもらいました。その時、物理の先生からは「研究の概要」「研究の結果」「何から話したいか」「この研究の独自性」「研究のフローチャート(どのように考え研究したか)」「研究のこれからの課題」について書け、と言われ、書いては添削書いては添削を放課後毎日繰り返しました。これらの文章を元にして先生にいろいろと質問をしてもらい、それに答えるというのも行いました。「お前がわからないことを見栄張ってもしょうがないから素直に『わかりません』と言え」と言われたことが印象的です。
 ドキドキの面接ですが、面接官3人と受験者1人という形式でした。面接の形式としては「研究をしてどのような力が身についたのか」ということと物理に関する質問だったと思います。前者については自分がどのような研究をしたのか、どのように考えてどのような力がついたのかについて話しました。後者では物理に関する軽い問題や将来などについて聞かれました。Newton3法則を聞かれて、慣性の法則が思い出せなかったときは頭が真っ白になりましたが、そのあと本当にこいつ慣性の法則わかってんのか、的な質問には冷静に答えられました。
 人事尽くして天命待つ。これらが終わったら約1週間後には合格発表です。一般での合格のように掲示板に人がたくさんいて合格したと言ったら胴上げ、なんてことはありませんでした。合格して親に連絡してすごく嬉しかったことを今でも思い出せます。同じ学校で他学類にAC受験した人と見に行き、そいつが落ちていたので帰りのTX車内がとてつもなく気まずかったことも覚えています。
AC入試は普通の受験とは全く違う受験方法です。問題解決能力を見られます。付け焼刃的な研究では落ちるでしょう。何か研究をしていて()、それを生かしたいという人、AC入試で合格して、8ヶ月後の20114月に会いましょう。
 ここまでだらだらと書いてきましたが、合格してからACは本番です。AhoCollection入試や裏口入学などと自虐的に言うように一般組と比べて実力が劣ってることが多いので、勉強をしましょう。
AC最高や!最初から一般受験なんていらんかったんや!

2010年5月3日月曜日

TwitterでのチェーンRTとメディアリテラシー

つい先日、twitterで行方不明の息子を探してほしいというRTがTLに流れた。その息子はその後無事に保護されたらしい。いやーめでたしめでたし。

という話ではない。
それ以前にも病院で希少血液型の人が事故に遭い、輸血が必要である、その血液型の人は連絡してほしいというRTが流れてきた。
いわいるチェーンRT。【拡散RT希望】などの拡散を望んでいる見出しがついてることが多い。そういえば、ずいぶん前にチェーンメールとしてこの輸血の話は回ってきたことがある。
この血液型のRTは既出ネタであり、さらに言えばこの行方不明の息子の話だって事実かどうかなんて確認のしようがない。なのに、100人以上の人がRTした。ある意味このRTのレベルはチェーンメールレベルであり、これを拡散するというのはメディアリテラシー的にどうなのかと思う。

最近ではめっきりチェーンメールを見る機会も少なくなった。が、なぜ今twitterでこのような拡散RTが広まってるのだろうか。
twitterは1人がpostするとfollowerの人たちのTLにその発言が流れる。
これまでのチェーンメールの場合、10人にまわさないと~などとせいぜいまわす人数は10人程度だった。しかし、twitterではそれが数10人数100人単位になる。そうなるとチェーンRTを見た人でそのチェーンRTをまわす情弱がいる確率はチェーンメールよりも高くなる。
これが原因。twitterの構造に起因するだけにこれらのチェーンRTはなくなることはないだろう。

これをなくなるには全体のメディアリテラシーが高くなること。
公式RTってのはメディアに近い存在だと思う。流れてくる情報からこの情報を流すということを選択する。で、情報を垂れ流すわけだが、こういうチェーンRTやデマを流すやつはまさか「マスゴミ」とか言ってマスコミを叩いてないよな?
この行為はまさに「マスゴミ」とか叩いてるその対象がやってることと同じことなんだけど。

まあしかし、これまでメディアというのは向こうから情報が一方的に垂れ流されてくるものだったのが、自分自身も小さなメディアになる時代が来た。
こうやっていろいろと自分で発信しながら、メディアリテラシーというのが高くなるように僕は願っている。

つまり、こういう風にブログやtwitterで「俺いいこと言ってるわ」という知的オナニー最高や!

2010年4月19日月曜日

「1984年」と「魔王」は将来の日本か?

全体主義のお話
オーウェルの「1984年」と伊坂の「魔王」を読んで。

「魔王」は世間の流れに流されずに考えて自分はそうなのかとする話。
社会が一斉に右にならえするようになる。そんな流れが本当に正しいのか、誰かがあおってるだけなんじゃないか、「考えろ、考えろ」と。
『でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、世界が変わる』

「1984年」は全体主義の世界でのお話。
「ビックブラザー」に監視される世界、主人公は党員だが、思考することが禁じられてる世界で思考をする。
『<思考犯罪>は死を伴わない。<思考犯罪>が即ち死なのだ。』

さて、今現在僕はこのような全体主義(左寄りの人に言わせれば「いつか来た道」)に日本が将来なるのではないか、と思っている。
日本人は本当に流されやすい。「3割だった世論が一晩で7割になる国」という言葉があるくらい。そして在特会で顕在化し始めたネトウヨからの右への世論の旋回。これまで日本は平和主義など左寄りの世論が強かった(ソ連の工作もあったという。安保闘争とか)。が、流されやすい日本人、左だった反動が必ず来る。一気に右に行き、自由主義から全体主義へ流れていくと予想する。

日本はもともと村社会という村単位での全体主義だった。村の掟に従わなければ村八分にされた。現在日本でも「空気」を読むことが要求されている。そういう意味では日本人は全体主義との親和性が強いのかもしれない。

さて、個人的にいえばこの全体主義に突っ込んでいく未来は避けたい。気ままにニートができなくなるとつらいです。
そのためにはどうしたらいいか。
「魔王」の主人公のように「考える」、これだと思う。

momoiktkr ほとんどの人が2ちゃんや他人のブログで読んだことを自分が考えた答えだと勘違いしてるような気がしてならなかった。Twitterが流行してRTという公式コピペが手軽にできるようになり、逆に、自分の頭で考えた本当の意見とは何なのか、メディアリテラシーに多くの人が目覚めたらいいな。

ももーいのこのpostにつきる
思考停止に陥らず流されず考えて考える。そんな人が多くなれば、極端な考えや全体主義に走ることなく、日本がよくなると僕は思う。

2010年3月25日木曜日

まなびストレートと攻殻機動隊から2030年の未来を予想する

両方ともおもしろかった。
まなび、攻殻ともに2030年付近を舞台にしたアニメ。それぞれの世界で実現されてるのは

まなびストレート
・高校生の机がディスプレイでそれで勉強
・携帯端末が透明
・スケボーみたいな宙に浮くもの
・生徒手帳がスマフォみたく携帯端末

攻殻機動隊
・脳が電脳化されている(ほとんどの人々が)
・サイボーグのように肉体を機械化
・タチコマのようなAI
・光学迷彩

だいたいこんなもんか。
2010年の現在、2030年は20年先で1980年が20年前か。20年先にはどんな技術ができてるだろう。2030年にはどうなってるだろうと考えてみる。

2030年になると…
・学校でも黒板が電子黒板になる
これは堅いと思う。iPadが出てきて20年もしたら学校でのノートはタブレットPCでみんな取ってる。それに対応して黒板も電子黒板に。
・ARがものすごく発達する。
眼鏡をかけるだけでセカイカメラみたいなことが普通に。
・パソコンのディスプレイがHMDに
今、F-22やJSFだとパイロットがHMDをつけて戦闘機を操縦している。20年もすれば最先端軍事技術が民用化されて、今の液晶などのパネルディスプレイにかわる存在になる。ARと関連することだけど。
・本が全て電子化
kindleが出てきて、20年後には電子ペーパーが一般化。端末を持ち歩くことが一般的に。
・テレビとインターネットが同じぐらいに
今はまだテレビの力が圧倒的だけどこれからどんどんと下がっていき、インターネットが発達して20年後にはテレビとインターネットが同じようになる。
・SSDが主流に
これによってHMDを通してARな画面を操作するという形にパソコンがなる。

無難というかこんなもんしか思いつかなかった。あと2030年で技術以外でだと
・オタクがマジョリティに
今、ゆとり世代を筆頭にしてニコニコ動画などを中心としてオタクが普通になってきている。この世代が社会に出始めてオタクというのが段々と一般化。
・太陽系外惑星で地球とそっくりなものが発見される
TMTも出来て、補償光学が発達して技術的にもう地球サイズの惑星が見つかる。20年後だったらもうスペクトル解析で惑星の大気までわかってると思う。

2030年はどうなってる?

2010年3月24日水曜日

1年間の反省を兼ねた筑波大学新入生へ

http://tgrr-putan.blogspot.com/2009/10/ac.html
AC合格者へ向けていろいろと書いていますが、後期発表もされたことでこれで全新入生が決まったわけです。おめでとうございます。もっとも僕のいる物理学類は後期は募集はしてませんが。
この1年間の反省や感想でも書いて新入生の参考になればと思います。

・図書館の活用
高校時代と全く勉強が変わる。これに気付いたのが12月。遅い。もっと自律的に、主体的に動かないと。大学生は自由度が増す分、個人の努力で。先に進めるなら先に進む。

・バイトをする
1年1学期は生活に慣れるためと称してバイトをしなかった。これでズルズルといってしまった。確かに1学期はかなり講義が入っていたけど。バイトをして経済的に自立したい。奨学金+授業料免除+宿舎のコンボなら5万行かずに親からの仕送りなしでいける、はず。どうせバイトしないで勉強する(キリッなんて結局しないんだから時間を切り売ったほうがいいかもね。まあ、キツキツにはやりたくないが。

・サークルとか
やりすぎもどうかと思うけど、そこそこサークル充になりましょう。つながりが広がる。
あとクラ代という生徒会みたいな組織。何か活動したいと思ってる人には最適。仕事をいろいろとこなす。

・友達の作り方
自分は中高一貫校だったから6年間ずっと同じ面子だったわけで、新たな環境から知り合いを作るというのがきつかった。これまでの自分とは違う世界。難しい。これまでと同じノリではいけないのかもしれない。最初のオリエンテーション合宿でそこそこ顔見知りを作りましょう。そこを足がかりにしてつながるかもしれない。コミュ力が試される。

・勉強や講義
2年生の量子力学や熱力学に潜り込んでおけばよかった。履修登録しなくても先に進んでおくべきだった。ベクトル解析に戸惑う。gradやdiv、rotと∇と仲良しになりましょう。
前から5列目がお気に入り。講義を聴くにも寝るにも最適。smart.fmで英語の勉強をもっとしておくべきだった。本腰を入れたのが2月入ってから。

・生活面
家計簿はつけましょう。いくら毎月何に使ってるのか把握できません。僕は把握できてないので。ホットプレートでも買って自炊をしよう。補食室に行って料理するのが面倒。遅刻はいけないと思います。

・大学生になって雑感
手間と時間はお金で買える。これ重要。自由度が格段に上がる。もっと読書をしたかった。しなかっただけだけど。2次元最高!とか言ってても1人暮らしを始めてみると、孤独感が来て、心のどこかで彼女が欲しいとか思う部分が出来た。携帯音楽プレイヤー欲しい。東京出るのには高速バスかTXだけどどっちも割安チケット自動販売機みたいなので買うと300円ぐらい安く買える。もっと何か活動をしたい。しよう。もちろん勉強も大切。よくわかんない。リア充が何してるかは知らん。

なんかいつの間にか1年経って後輩が出来てる。怖い。まだ新入生気分なんですが。

2010年3月18日木曜日

子供と殺し

疑問:何歳から人は首を絞めると人は死ぬということを認識してるのだろうか。
疑問2:人を殺すということがだめ、というのは本能的に認識するのか、それとも親など誰かが教えるからわかるのか。

意図的な殺人なのか、それとも死ぬということがわからずに起きた偶発的な事故ともいえる殺人なのか。
そういう意味でも何歳の時にどのようにして人を殺すということを子どもは認識するのだろうか。自分は小学校低学年ぐらいにはもう首を絞めたら人が死ぬというのを知ってた。これは母親から言われたんだと思う。

人を殺してはいけない、というのは倫理。けれども子供はそれがわからないから、もし子供に力を持たせたとすると「こいつは嫌い」という理由で人を殺すだろう。自分も子供のころはこいつが嫌いとかむかついたとかいう理由でよくケンカをしていた。

でも、こいつが嫌いだから殺すというのは大人ではないことだけど、嫌がらせなどを考えたら大人でもある。(ほとんどの大人が)嫌いな奴を殺さないのは、人を殺すと罰せられるし、いけないことだと大人は知ってるから。

そう考えると子供は誰かに教えてもらって「殺しはいけない」と教わるのかな。でも人が死ぬというのはどうやって認識するのだろうか。子供は驚くほど残酷で、本能のままに生きてると言ってもいいと思う。
何も知らないからこそ大人の本質を写す存在でもあり、子供は残酷だ。

自分は子供というのは「知識」や「経験」のない大人だと思っている。この知識であったり経験であったりが、「理性」というものなのかな。

死の概念というのも誰かに教わることで獲得するのかな。

どうでもいいか。
名がそろそろ「大人」になるので実もそれなりに成長しないとね。

2010年3月15日月曜日

本能を理性で抑えよ

11日と12日の2日間にわたって高校時代の友人とスキーに行ってきた。滑れない滑れない。数回しか滑ったことないから全然滑れなかった。ハの字にする初心者のやつでも曲がれず転びまくった…止まることができないから怖いんだよね。それで腰が引けてうまく滑れなくて止まれないという悪循環。

スキー滑降の選手は本当にすごい。恐怖に打ち勝ってる。で、思い出したのはNHKのミラクルボディ。ダウンヒルの王者スビンダルがどうやって恐怖に打ち勝っているのかというところ。事故したコースでも脳は反応してるのだが、それを乗り越えている。

理性で本能を抑える。
身近なとこで言えば講義中に眠くなったのを我慢する(僕は我慢しない)ということだろうか。他にも生理現象を我慢したりであったり、感情を抑えたり。
ところで感情は本能なのだろうか。好きであったり嫌いであったり、感情というのは様々な情報を処理したうえで得られる結果であるからこれは本能だろう、たぶん。
高度に社会が発達し、本能というのが邪魔になってくることが多くなってきた気がする。自分の感情を押し殺す協調性であったり、睡眠食事を削って働いたりが求められている。社会というのは囚人のジレンマで、一見不利であることをしなければ全体として利益が得られないことが多い、と僕は思う。

このまま社会が発達していくにつれて人類は動物的な本能というのをさらに疎んでいくのではないか。科学的に本能を抑制する、というのが進むかもしれない。
抗うつ剤だと鬱という精神を薬によって変えているけど、将来サプリメントのように感情をコントロールする薬が気軽に使われてるかもしれない。今でも戦闘機パイロットは精神剤で疲れを感じないようにしてるらしい。
いやいやもっと直接的に脳に電極を埋め込んで思考ごと乗っ取ってコントロールなんてことが…
睡眠は肉体的な休息より精神的な休息とも言われてるし、精神が人間をコントロールしてる。精神をコントロール出来たらもっと超人類的なものに進化するのだろうか。

いやでも本能というのを完全にコントロールできるようになったら人類はかなり進化するだろうが、とても怖い。感情までもがコントロールできるというのはむしろロボットに近い。自分の感情や本能がすべてコントロールされる。完全管理社会。「1984年」買ったけどまだ読んでないや。
それでもこの先人類がさらに発達するには社会を発達させるのが求められて、それにはやはり囚人のジレンマを乗り越える必要があって、本能は抑制されるべき、なのか?

と、ここまでなかなか勉強ができない言い訳を。
感情という本能をうまくコントロールできないから仕方ないね。

2010年3月2日火曜日

人種は行動に影響するか。

容姿は明らかに遺伝している。つまりDNAによって容姿が決まる。
DNAが人間の設計図だとしたら人種というのは明らかにDNAの差異によるものだ。
DNAがわずかでも違っていたら知能、行動に影響があるのではないか。
人種で知能行動に差があるのではないか。

自分はどこまで人の行動、知能がDNAに影響されているのか、と思う。
そんな中で人種による違いが脳容量、行動と知能にどう関係しているかについて書かれたのが
「人種 進化 行動」 J・フィリップ・ラシュトン 博品社
という本。
図書館から借りて読みました。

要約
脳容量の大きさ:ネグロイド<コーカソイド<モンゴロイド
知能(IQ):ネグロイド<コーカソイド<モンゴロイド
成熟速度:黒人が一番早く、次に白人、一番遅いのが東洋人
人格:黒人が一番非抑制的、白人は中間、東洋人は一番抑制的
婚姻の安定性(離婚、婚外子、児童虐待):東洋人>白人>黒人
平均して東洋人と黒人は対極にある。白人はその中間。
なぜこのようになったか、それは繁殖戦略が原因。r-K理論。
r戦略:子どもをたくさん産むことで子孫を残す。卵生産と性行動。
K戦略:大きな脳と社会組織を発展させる。
ネグロイドはr淘汰され、モンゴロイドはK淘汰されている。
これはアフリカでは予測困難な疫病などが原因で死に至るので増殖することで繁栄しようとする。
一方アジアでは氷河期を含む予測可能な冬に耐えるため、社会組織を発展させる必要があった。
白人家庭に入った黒人養子の観察によると環境より人種のほうが行動、知能に影響がある。

こんなもんか。間違いなく「危ない」本。しかし、とてもおもしろかった。
自分はどのレベルまでかはわからないがやっぱり人種によって差があると思う。環境的な要因もあるが、感じとしては遺伝子60、環境40ぐらいじゃないかなあ。純粋に好奇心からそれぞれの人種でどれくらいDNAに違いがあるのか知りたい。
そしてほぼ同じDNAの民族について比較すれば、DNAが文化を作っているのか、社会構造、地理が文化を作っているのかがわかると思う。まあ、実際は遺伝子、環境の両方が複雑に絡み合って社会はできているのだと思うけれど。

双子がたくさんいる高校、というか双子の教育研究しているところに通っていた。実際に遺伝子が行動を支配、人生を決定づけているのかな。一卵性双子の友人がいるけど彼らはどうなるんだろ。2人とも同じような人と結婚して、同じような生活を送るのだろうか。
そういえば高校の教師が口外するなよ(と言ってもここで書くがw)という前提で、天皇家というのは我々下々の民とは遺伝子が違う可能性を言ってたな。近親相姦などもあり、Y染色体を遺伝してきたことを考えてみるとそう考えるのは不自然ではない。
実際どうなんだろう。下々の民は外国とかといろいろ混ざってるかもしれないが、天皇家の遺伝子は古墳時代の日本人の遺伝子をそのまま受け継いでいるのかもね。

まあ、この本は面白いがかなり危ない。
人種差別に使われる可能性もあるしね。まあ英語版Wikipedia見ると予想通り使われてるっぽいが。これから生命科学がさらに発達して遺伝子の操作ができるようになってきたとき、さらにこの問題は大きくなると思う。
遠くない将来、遺伝子と社会というのが問題になるのでは?

自分が取る行動、思考は遺伝子が支配してるのか?じゃあ、自分って何?

2010年2月24日水曜日

死刑議論と冤罪はわけて考えるべき

死刑存置か廃止か、いろいろな議論がある。世界では廃止が主流だとか世論は死刑を支持しているだとか。そして、死刑廃止派の言い分でよくあるのが「冤罪が起きた場合、取り戻しが効かない」というもの。
死刑で命を奪ってしまったら万が一冤罪になったときに命は戻ってこない、だから死刑廃止にしよう。
そういう意見。

けれども、それは間違っている。
死刑存置廃止の議論と冤罪の議論は一緒にすべきではない。
冤罪というのは警察の捜査、また検察の判断など裁判のシステムの問題。冤罪自体があってはならないものなのだから、どう冤罪をなくしていくかということならわかる。

死刑存置か廃止か、この議論の争点は「死という刑罰が存在することが妥当かどうか」ということ。罰金、禁錮、懲役などの刑罰に加えて、「死」という刑罰があるのはいいのかわるいのか。そこを話し合うべき。

例えば、イスラム諸国の中には鞭打ち刑がある国がある。それをこちらからみたら野蛮だとか思うかもしれないけど、彼らは鞭打ち刑が存在するということを支持している。このことと死刑問題は似てると思う。

そして現在日本で死刑というのが存在することは世論から支持されている。
これは死をもって償うという文化が日本にはあるからだと思ってる。究極的な責任の取り方として「死」を選ぶということを日本人は感じている。ほら、死刑の判決文にだって「死をもって償うしかない」ってあるでしょ? この「死をもって償う」文化はいたるところにある。組織において責任をとると言ったら大抵が辞任で、これは組織内での死と見ることができると思う。

自分は正直に言うと死刑は廃止したほうがいいと思ってるけど、この文化がある限り絶対に死刑を廃止するのは無理だと思ってる。
根底的にはこの死刑存置廃止の議論は感情論に近いものだと思う。

こいつは人を殺した。同じ死をもって償わせるしかない。(死刑存置派)
こいつは人を殺した。けれども、ここで死刑という「殺人」をしてしまったら我々も彼と同じレベルになる。(死刑廃止派)
みんなgdgdと死刑に抑止力があるとかないとか冤罪だとか言ってるけど、つまるとこはこの感情なんだよね。そして感情だから大抵議論は平行線になる。
生産性のない議論だな。

死刑廃止派としては、冤罪を理由にしてごねてる人のせいで廃止派が低能に見られているので迷惑。
まあ死刑議論は感情論なので他人が死刑についてどう思おうが構わないけどね。

2010年2月20日土曜日

ハルヒ関連

公開日に消失を見て久しぶりに情熱が湧いてきたので。でもやっぱり2006年春放送から2010冬はやっぱり長かった。
Twitterにハルヒ関連の考察(とまでは言えない)ものをpostしたのでそのまとめ

消失で長門が世界改変したけど、キョンだけは記憶を変えずに残して脱出プログラムを用意したのは、改変前の世界か改編後の世界を選ばせるため、つまりハルヒを選ぶか長門を選ぶか。結果、キョンはハルヒのいる改変前の世界を選んだ。胸が痛くなるな。

ハルヒの「なんで自分は特別じゃないんだろう」という感情が痛いほどわかる。涼宮ハルヒの憂鬱をハルヒの視点から見てみたい。ハルヒにとってキョンはまさに退屈な日々という部屋から抜け出すための「鍵」なんだろうなあ。

ハルヒにとってキョンは退屈な世界から抜け出す「鍵」だけど、佐々木にとっても同じような「鍵」だったのではないか。佐々木に世界改変能力があるとすれば、「分裂」したのは佐々木版エンドレスエイトではないのか。

まず消失について。
キョンは「長門もハルヒに振り回されて疲れたのだろう」のような独白があるけど、そうなのだろうか。
ファンとしての深読みもあるけどそうではなくて、長門はキョンと一緒にいたかったのではないだろうか。
消失世界でSOS団の5人はばらばらの場所に配置される。なぜならSOS団はハルヒがつくったものだから。ハルヒと古泉は別の学校に、みくるにキョンは拒絶され、残ったのはキョンと長門。
長門はキョンだけを世界改変の際に元の世界の記憶を残した。元の世界、SOS団つまりハルヒのいる世界へ戻るか、それとも改編後の世界、つまり長門といる文芸部に残るか。その選択をキョンにゆだねた。
キョンは迷うことなくハルヒのいる世界を選んだ。
長門の気持ちを思うと胸が痛くなるな。
まあ、このあたりの解釈は散々なされてきただろう既出だと思うけど。

次、ハルヒから見た世界。
ハルヒがいろいろと不思議を探すのは、なんで自分は特別じゃないんだろうという感情から。自分こそ特別だと信じたい。
この気持ちが痛いほどわかる。成長して社会を知るにつれて自分が特別な存在じゃないことに気づいて行くんだよ。「自分よりもっとおもしろい生活をしている人がいるんじゃないんか」って。絶望。
ハルヒはそんな中学時代を過ごしてきたけど、高校はキョンという人物に出会った。
それはハルヒにとって絶望していた世界に見えた一筋の光だったんじゃないだろうか。
ハルヒの視点からの「涼宮ハルヒの憂鬱」はどう見えるのだろうか。

最後、佐々木関連。
角川はさっさと驚愕出せ。
で、佐々木について。もし佐々木に世界改変能力があるとしたらやはりその「鍵」はキョン。
佐々木はキョンと中学が一緒だった。塾の行き帰りを自転車で一緒に帰るぐらいの。
さて、高校に進学し佐々木とキョンは別々の道に進んだ。想像だがキョンがいない生活はかなり喪失感があったのではないか。
で、1年ぶりにキョンと会ったわけだが、佐々木のポジションにはハルヒがいた。
これは嫉妬とかそういう感情が芽生えてエンドレスエイト状態になっても仕方ないよね。
あとなんとなくだけど、ハルヒ、佐々木ともに世界改変能力があるとしたらキョンはその2人の能力を操るというか導くというかオーケストラの指揮者のポジションな気がする。
そういう意味での「鍵」なのかもね。

まあ、適当に。

2010年2月12日金曜日

すばる望遠鏡へ見学してきました

大学の最先端研究体験企画というもので行ってきました。旅費は大学持ちで。




標高が4000mを超えるところで息苦しかった。平地の半分しか空気がないから酸素が…

今度すばる望遠鏡に行くときは観光ではなく、研究者として仕事として行けるように頑張りたい。

2010年2月6日土曜日

2010年予想(願望含む)

1.鳩山政権、夏の参院選で参院単独過半数に届かずさらにgdる。退陣も。
小沢問題ですでにgdgd。

2.普天間問題、結局辺野古へ。
辺野古しか移す場所がない。もしくは普天間にそのまま固定。

3.旧来の右翼でも左翼でもない普通の人が参加するこないだの就活デモみたいなのが起きやすくなる。
そろそろ不満がたまってて起きそうな気がする。
Twitterとかそういうのを中心にして起きそう。

4.中国、日本のGDPを抜いて世界第2位へ。
これはまあなるでしょう。

5.LHCで新粒子発見
わかんね。

6.日本人は実はすごいとか世界では評価されてる、みたいな本が売れる。
閉塞感が日本全体にすごいある。自信喪失。
そういう中で日本マンセーして自信回復するような本が売れるのではないかと予想。

7.景気は世界経済が回復傾向で2番底までは落ちないが、それでも低調。
世界経済は回復傾向にある。それに引っ張られてこれ以上落ちることはないと思う。
ただ、回復するとも思えない。

8.二十歳になります
はい。

9.巨人V4達成、大田が新人王。ワールドカップは案の定である。
巨人がV4達成、日本シリーズ連覇。ワールドカップはまあ、奇跡が起きない限りは予選落ち。

10.アフガン、さらに泥沼化。オバマの予定通りにいかず、さらに求心力低下。
どうなるんでしょ。こないだCIA職員がテロ攻撃で死亡とかあったし、泥沼化しそう・・・
アフガンは帝国の墓場とか言われてるからねえ。

11.クラ代議長としての職務をこなす。
はい

まあこんなもんかね。適当に考えてみた。
全体的にはなんか2010年はすごく閉塞感があふれる年になるかもなあ。
今、日本全体が閉塞感に包まれてる。

大学は入学時の学力差がそろそろ縮まってくる頃。がんばろう。
図書館で本をたくさん借りてたくさん勉強しよう。

2010年1月3日日曜日

ニコニコ動画のコミケ化

タイトルが自分にとってニコ動から離れた理由かな、と思う。

βなどの初期のころ、ニコ動は2chの実況板をそっくりそのまま持ってきたものだった。
みんなでわいわいがやがや同じ動画を見るという実況の楽しさがおもしろかった。
初期のyoutubeにコメントをつけるだけ、という他人のふんどしを借りていたシステムとテレビ番組を実況することは似ている。
ニコ動での実況が最盛期だったのがたぶんγでの深夜アニメにコメントつけてたころ。2007年の春から秋。
放送終了後30分でアップされたなんてこともあった。
もちろんこれらは違法アップロードだから削除された。それでも今よりは長く持っていた気がする。
違法アップロードのコンテンツばかりでアングラ臭がしていたが、秘密基地のようで楽しかった。

それがいつからか歌ってみたや踊ってみたに代表されるような自己表現としての場に変わっていた。
もちろんMADもそう。みんなで同じものを楽しむ場から動画というコンテンツを楽しむ場になった(んだと思う)
ニコ動に政治的な(プロパガンダ)動画が上がり始めたのもこれと同期してるはず。
ああいうネトウヨ政治動画を中高生がみて洗脳されているかと思うと胸が熱くなるな。

さて、コミケ。コミケは最大の同人誌即売会なわけだが最近では企業ブースもできて「オタクの祭典」的な性格を持ち始めている。
同人誌の2次創作を企業ブースを出展させることで黙認させている(らしい)
現在のニコ動はこのコミケと似ていると思う。
・同人誌とMAD
・企業ブースと公式チャンネル
歌ってみたや演奏してみたからCDデビューという出来事もコミケで同人誌書いてから漫画家デビューとかぶる。
自己表現のプラットフォームにニコ動は向かっているんだと思う。

自分はこういう自己表現に投げ銭することに価値を見いだせない人間なんで。