2010年12月1日水曜日

アイマスというデータベースとシミュラークルな存在。

動物化するポストモダン読んだので。

 アイマスはシミュラークルな存在だった。公式がアイマスのデータベースとなって、ファンがそれからいろいろとアイマスの世界を広げていった。

 まず、アイマスがシミュラークルな存在ということについて。これには異論はないと思う。アーケード時代は別として箱○時代以降、ニコニコであったり2次創作、声優からのフィードバックなどがあった。「ぷちます」が公式化されたり、ニコニコでのMADであったりなど、アイマスは公式側とファン側を隔てる壁が低かったように思う。何がオリジナルで何がコピーなのか、その違いが分からなくなるシミュラークルな存在そのものだ。

 次にアイマスというデータベースからファンが広げて行ったことについて。アイマスのキャラクターは初期の9人でほぼ2次元系に存在しうるキャラ特性を網羅している(と自分は思う)。ある意味ありきたりな個々のアイドルそれぞれにストーリーがある。公式が提供してるのはこれだけ。
 が、アイマスというゲームを消費するとき、みんな同じデータから同じゲームを消費しているのに違う見方になる。なぜか。アイドルと二人三脚でトップアイドルを目指すという過程において共通のデータに加えて自分だけのデータ、解釈が加わる。これが一番他のギャルゲと違ってたところで他のプレイヤーのアイドルはパラレルとして認識される。ラブプラスも同じで他の彼女はパラレル。コナミはたぶん意図して自分がプレイヤーのデータベースになろうとしてるんだと思う。

 で、プレイヤーごとに違ったアイマス世界観がいろいろと交流をしていくうちにおもしろいものができ、そのおもしろいものにさらにまた人が集まってきた、というのがアイマスのファンだった。共通しているのはアイマスというデータベースを元にしているだけ。様々な人がアイマスというデータベースを介してつながっていたからアイマス関連のコミュニティはおもしろかった。

まとめると
公式がデータベース(となるゲーム)を出す

ファンがそのデータベースから各々の解釈をする

各々の解釈がシミュラークルとなり、公式なのか2次創作なのかがわからなくなる

公式がそのシミュラークルを採用し、データベースに加える

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 アイマスってこういうサイクルだったんじゃないのだろうか。ある意味ファンが育てたとも言えるコンテンツ。「わしが育てた」と思っていた人はそれなりにいたと思う。9.18を発端とする「2」に対する反発は、これまであったアイマスというデータベースを破壊して、新しいアイマス2のデータベースを用意したことだと考える。それこそ「わしが育てた」のもあるが、共通のデータベースを介してつながっていたのが、一気に壊された。公式とファン側との境が曖昧だったのがいきなりはっきりとわけられた。
 今回の騒動でわかったのは、アイマスのコミュニティは様々な見方と様々な人で構成されていたんだなということ。まさにアイマスというデーターベースを楽しんでいた。シミュラークルを許容するでもなく、データベースが同じでもないアイマス2はもはや「アイマス」ではない。そう僕は思ったのだった。