2013年12月13日金曜日

sshでつないだ時にx11windowが時間が経つとタイムアウトするのを防ぐ方法

つなげる側のPCの/etc/にあるssh_configで
x11Forwarding yes
x11ForwandingTrusted yes
の2行を追加する。
ググって同じようなのあったんだけど勘違いしてて、x11Forwarding Trusted yesとForwardingとTrustedの間に半角スペース入れてて機能してなくて困った困ったしてたけど、半角入れないとできた。

あと公開鍵暗号で設定するとパスワード打つ必要なくなって捗ることを知った。

2013年12月11日水曜日

awkを使ったターミナル上の1行コマンドで.datなどのファイルのデータを計算したりファイル作ったり

.datファイルなどにあるデータの合計や平均値、そのデータを用いた計算をわざわざプログラムファイルを作らずとも、ターミナル上のコマンドでやる方法。個人的学習メモ。awkを使った1行プログラムでdatファイルを処理する。

 1.連続した数字を並べたdatファイルを作る
 awk 'BEGIN{for(i=1; i<=20; i++) print i}' > test.dat
と打つと 1から20までならんだtest.datファイルが作られる
1
2
3
.
.
19
20
これの平均を求める
awk '{sum += $1}END{print sum/NR ;}' test.dat
10.5
とでる。test.datの最後の行にave10.5を追加するには
awk '{sum += $1}END{print "ave""\t" sum/NR ;}' test.dat >> test.dat
と書く。>で上書き保存、>>で後ろに追加。"\t"でタブ。NRはその時点で読み込んだ行数。この行数は#でコメントアウトした行も含まれる。ENDで最後読み終わったあとの処理の意味。BEGINはファイル読み始める前に処理の意味。

2. 1行ごとに処理(計算)して出力
例えば
 awk 'BEGIN{for(i=1; i<=20; i++) print i*3}' > test2.dat
した
3
6
9
.
.
57
60
というtest2.datファイルを作ってtest2.datをtest.datでそれぞれの行を割りたい時。 pasteコマンドを使ってくっつけて|で受け渡してawkで処理して出力。
paste test.dat test2.dat | awk 'BEGIN{for(i=0; i<=20; i++) NR>i}{print $2/$1;}' > test3.dat
とすると
3
3
3
.
.
3
3
というtest3.datができる。ミソはBEGIN{for(i=0; i<=20; i++) NR>i}部分と思われる。for文で1つずつiを増やしていって{}に入らない条件部分でiより大きいNRの行数を見て{print $2/$1;}を処理。forのループでまた1つ行がずれる。(という理解。たぶん)

プログラミング雑魚なので今日やったことをとりあえずメモしておく。printで;つけてなくて出力できなくて30分以上悩んでた雑魚です。これ覚えておけば、解析でのdatファイルの扱いはなんとかなるはず。

2013年11月14日木曜日

研究ノートは研究日記

研究ノート is 何?

誰も教えてくれないというか恥ずかしくて聞けなかったというのが本当のところなんだけど、4月に大学院入学してもう半年以上経ってるのに研究ノートというのがいまいちよくわからなくて困ってた。研究メモだよとか言われてもよくわかんないし、何書いたらいいんだよって思ってて時々メモ帳代わりに使ってただけ。

で、ここ最近というか今日なんだけど、観測実習の準備と来日してるCrossfieldからのアドバイスをメモったりそれ参考にしてやったりしててで気づいたんだけど、研究ノートというのは研究「日記」だということ。今日自分が何をしたのか、何のコマンドを使ったのか、明日のタスクは?というのを書くものだということだと理解しました。やっとかもしれんが。

いやまあそれを気づくに至った理由なんですが、至ってシンプルであれこれ前やった時どの数値、コマンド使ったっけというのが全くを持って忘れててまたグーグル先生に聞き直したり計算しなおしたりしてだるかったからです。

じゃあこれまでどうしてたのかというとgeneral educationが重要ということで普通に勉強なわけでメモする重要性を感じてなかったんだよね。ゼミの準備とかも普通にゼミ資料とかプレゼン資料で残ってるわけだし、わざわざノート書く理由がなかった。

研究ノートって実験ノートと同じじゃんって思ったけど、実験ノートと違うのは論文の存在。読んだ論文とか参照する論文とか感想とかって実験ノートじゃ書かないじゃん。でも、日記なら書くでしょ。ログなわけだ。忘れやすいから。

だから、研究ノートは研究日記。些細なことでもあとで読み返してわかるように日記のように書こう。
というので自分では腑に落ちました。

というのを忘れないうちに書いておきます。

好きなものリスト

研究で疲れて帰ってきてブログ書く気力がなかった上に艦これやりまくってたからブログ書いてなかった。

なんていうかこの間の京都伊勢高山弾丸旅行の時にも話したんだけど、自分が好きだったものが好きじゃなくなるってすげー悲しい。なんていうかな…あれほど情熱的に熱狂的に好きだったものに対する魔法が解けたように自分が変わってしまったということがわかってしまう。いやまあしょうがないというか変化は仕方のないことでそうなんだけど、あの時の気持ちも本物で今の気持ちも本物だとするといつかは全てのものに飽きが来ちゃってたぶん自殺すると思うんだよね。怖いわけじゃないけど、あの時の気持ちを思い出せなくなっちゃうのは悲しいから今好きなものをちょっとリスト化しようかなと思いました。2013年に買ったものとかかな。twitterでいろいろとぼやいてるからtwilog漁るのでもいいんだけど、それだと探すのがだるい。

・輪るピングドラム
BDついに買いました。全話見直すのは時間なくて無理だけど1ヶ月ぐらい前に1話と10話見て、18話見たらやっぱり泣きました。愛の話なんだよなあ。

・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
アニメの3話あたりでお前が俺を交通事故に遭わせたことに負い目があって優しくしているならやめろというヒッキーのセリフで一気に好きになりました。BDは買ってないけど原作は全巻買った。

・GJ部
フェチアニメ。かわいい。BD買った。2軍のファンタジスタTシャツ欲しかった…。2期楽しみ。チカラメシとのコラボにも行ったけど楽しい。ダメダカラネー

・ガールズアンドパンツァー
12年の11月と13年の5月に大洗行った。結構劇中の場所回る聖地巡礼楽しい。あと5月行った時はガルパンかくれんぼやってて等身大パネルが街中にあって捗った。また折を見て行きたい。あ、BDも買いました。OVAは買ってない。それ以外のグッズは買ってないな―なんかアニメで完結してる。

・艦これ
7月に舞鶴に着任して今、提督Lv.99。先輩も某スタッフもやってる。イベントで武蔵取ったけど、最近ゲームバランス崩れすぎてゴミ化しそう。5-3くそだる。自分の気に入った艦娘は集中的に育てて装備とかも揃えるけど、嫌いな朝潮型とかどうでもいいのは弾除けとかストレス溜まった時に轟沈させたりしてるある意味ブラック鎮守府です☆ 五十鈴と那珂ちゃんは割りと理不尽にいじめたい。ストレスたまってるんですかね。運ゲーにシフトしてゴミゲーになりつつあるので、どうにかしてください。とりあえずまだやってるし、気に入った子がいるからやめないけど、アニメ化ってどうなるんでしょ。

こんなもんですかね。アイマスは赤羽のシークレットイベントの発表部分だけ中継みたけど、割りと新作発表でもときめかないで今頃かよって感じになってた。たぶん完全に情熱が失せてる。春香さんアイコンは替えないけど。春香さんに対してはやっぱり好きとか愛してるとかじゃなくて完全に刺さってるんだと思います。

2013年6月17日月曜日

ロジカルでわかってもらえるとは限らないというかこれ愚痴だ

ロジカルに話すことがが正しくて、ロジカルに話せば人にわかってもらえる(自分がロジカルに話されれば納得するから)と思ってるのが理系に非常に多いと思う。でも、全てにおいて論理で進めていけば絶対正しい、納得できるところに行けるとは限らないと思うんですよね。

なんて言うかそれは本当にそうなのかを疑う科学、理系側なのに論理に対しては絶対の信頼をしているのが気に入らないって感じで、そこにゲーム理論での囚人のジレンマやゲーデルの不完全性定理のもあるようにで合理的に考えてもドツボにはまることはあるんだよ、って言いたい。

ゲーデルの不完全性定理を知ってれば論理で展開していっても答えられないことがあることを知ってるはずだし、囚人のジレンマ知ってれば合理的に考えていってもベストにたどり着くわけではないことを知っているはず。

なんだろなー、もしかしたら俺が念頭に置いて書いてるロジカルなやつが実はロジカルじゃないからこう思ってるだけかもしれんかなとも思い始めてわけわかんなくなってきた。議論というよりアイデア出し、テーマ決めでの会議でのことだから論理というより発想力の話で、ある固定されたところから話を進めるのは論理的だから得意だけれど、話がごちゃごちゃになって全然論理的でないこともめっちゃ出るのに耐えられない頭の回転の遅さなのか。

結局のところ真面目だけれど頭の悪いというか回転の遅いというか自分の言葉で言い換えができないというかよくわかんないけど嫌いってことなんだろう。

やっぱり論理も重要なんだけど論理が絶対じゃなくてそれだけじゃないって感じなんだよなー。挫折してない理想論者って嫌いってことなんすかな。あーこれかなー。

理屈こねこねしてても一発の発見、実験でその理屈、論理的に組み上げてきたものが一気にぶっ壊れるってのが物理学の歴史であったから、そういう理論のほうでぶっ壊されるかもしれないのわかって言ってるの? って感じなのか。

よくわかんなくなりました。

2013年4月29日月曜日

日本人の愛国心について

 よく日本人は愛国心がないと言われる。もし戦争が起こったときに国のために戦うかという質問で戦うと答えた比率は回答国中最下位という結果があるように、国に対する忠誠が低いとも言わている。まあそのことで自称愛国者の方々はけしからんと憤ったり、国を愛するのは当然とか言って売国奴探しに忙しいわけだ。

 しかしながらこの「愛国心」という言葉、英語では2つの単語に分かれる。ナショナリズム(nationalism)とパトリオティズム(patriotism)である。この違いを意識して愛国心という言葉を使っている人は少ないように思える。ナショナリズムとしての愛国心は「国」、今の政治体制だったりその土地を支配する国家に対する忠誠というもの。パトリオティズムとしての愛国心は「郷土」、自分の故郷を懐かしんだり愛したりするもの。

 実のところ、大多数の日本人はパトリオティズムとしての愛国心はかなり持っているように思われる。自分の故郷を自慢するケンミンSHOWみたいな番組などいろいろやっており、芸能人も誇らしげに自分の故郷について話すことが多い。日本人の精神的な故郷、「クニ」というのは自分の出身都道府県であって日本全体についてではないのではないか。これはcountryとnationの違いとも言えると思う。地域を指すcountryと国家を指すnation。多くの日本人が帰属意識を持っているのは自分の出身都道府県、countryのほうではないだろうか。

 その代わりに日本人は国家に対する帰属意識が希薄であり、これが冒頭での国のために戦うかという質問で戦うと答える比率が最下位という結果につながっていると考えられる。これはもちろん島国ということが大きい。陸続きの場合、隣国が存在することで否応なし国家を意識する。日本はそれがない代わりに上京して東京と自分の出身道府県を比べることで故郷を意識しているのではないか。そして言うのだ、「ああなんだかんだで地元はよかったなあ」と。そうして故郷への帰属意識が生まれるのではないだろうか。

 またそもそも「お国のために戦う意識」が低いのは、国のために立ち上がるという意識が薄いということが人々の間にあるからだ。明治維新、1945年の敗戦はともにお上がガラっと変わったのであって、フランス革命であったり独立戦争のように「市民」が立ち上がって国家を変えたという経験が日本人にはない。ある意味日本人は未だ「村人」である。これ、「市民」意識というか国民による革命みたいに旧体制の転覆を成功させたことがあるか、ゲリラとか国民総動員で戦争に勝利したことあるかなどの経験のあるなしは大きいと思う。国家が成立した近代以降の日本人は結局人口の数%~1割の武士による明治維新とアメリカの押しつけというか敗戦による戦後民主主義しか経験してないため、国民の手で国を何とかするという意識が低いのはしょうがないとも思える。

 どうせ個人の運動が国家を変えることなんてないさ、という諦念が人々の間にはある。この一番の原因はKGBの工作もあったとはいえ、安保闘争が完全に敗北したことによる挫折であると思う。第二次世界大戦の処理が戦争を経験してる人々が死なないと完全に風化しないように、この個人の運動で国家を動かせなかったという安保闘争の挫折の経験の払拭には安保闘争直撃世代、団塊の世代が死ぬまではかかると思う。つまりもう20年だ。20年後には、おそらく30歳ぐらいまでの若者の世代の愛国心、国家運営観はこれまでの敗戦、安保闘争の敗北が受け継がれない、断絶したものを持つだろうと予測しておく。

 現代日本人の国家観というのは日本=大和民族、単一民族となっている。ただしこの日本=単一民族は、歴史的に言えば戦前は左派が使っていて戦後は右派が使うというねじれ構造になっている(ref: 小熊英二 「<民主>と<愛国>―戦後ナショナリズムと公共性」)。多民族国家では国家をまとめるためには人々が旗のもとに集まるという意識が強い。例えばアメリカだ。その一方で日本が単一民族国家だという思い込みによってそもそも旗のもとに集まるということが、薄いのではないか。日本人にとって国家というのは血の繋がりであり、それは憲法で日本の象徴とされている天皇家が血の繋がりであることが示している。

ただそうなると同じように島国で王室があるイギリスとの比較になってくる。じゃあ何が違うのかといえば、やはり海の向こうとの関わりあい、異文化体験の違いかなと思う。1800年代から植民地を持ち異文化が入ってきており、また王室も他国との血の交流がある状況と、鎖国を続けてきた状況では違うのかなと。ここらへんは難しい。

ただやっぱり血の繋がり、大和民族かそうでないかというは感じられて、ほら、南部陽一郎がノーベル物理学賞を受賞した時に、アメリカ人であるのにまるで日本人が受賞したかのように報道があったでしょう? それがその傍証。

これまでグダグダと書いてきたけど、結局のところtribe(部族)による血の繋がりに準拠するtribalism(部族主義)とその家族が住むcountryに対するpatriotismが日本の愛国心の正体。

なので、冒頭に書いた国防意識の調査においては、国(nation)を守りますか?はナショナリズム的な意味なので低い結果になっているが、あなたの故郷を、家族を守りますか?というパトリオティズム的な文脈で聞いた場合、50%を超えると思う。質問文によって結果が異なるはず。

まあしかし、一夜で世論が3割から7割に変わる国民性だからわからんよ(笑)。マッカーサーの「12歳の国」じゃないけど、精神面はガキで空気読めという国民性だから、世間の空気が戦わないやつは非国民になったらこの意識も一気に変わるよ。大学入る前からこの先数年で一気に右旋回するというのが現実となってきたのを見るとね。とこれまで書いてきた分析を無視にして終わります。

2013年3月28日木曜日

大学を卒業して

 3日前になりましたが、筑波大学理工学群物理学類卒業しました。学士(理学)です。この大学の4年間で学んだことのドヤ顔アドバイスとか筑波大学とはとは受験生に向けた筑波大学の物理はこんなとこだよー的なドヤ顔アドバイスその2を書こうかなと思います。ほとんど愚痴みたいなもんですが、気持ちいいので書きます。

・4年間から学んだことや物理の後輩へのドヤ顔アドバイス
 具体的な勉強法的なアドバイスや量子力学統計力学のここの部分について的なアドバイスはないです。というかそこらへんはドヤ顔アドバイスできないので。勉強して学類トップ3までに入ると主席は卒業式で学類代表として卒業証書を受け取ったり、2位3位は学位記授与式で学類長賞がもらえるので勉強を頑張ってみてもいいんじゃないんですかね。
 まあ無難に言えば、自分で学ぶという習慣をつけてください。これ他人の言葉の受け売りですが、強いて勉めるのが高校までの勉強なのに対して、自ら問い学ぶのが学問です。自発的にやるのがいいでしょう。あと自分の経験では、すばる望遠鏡観測体験企画みたいに研究機関でやってる大学生向けのサマースクールに参加すると、各大学の人と交流できていいので、積極的に参加して人脈を広めると捗ると思います。
 学類ぼっちで過去問とか回ってこなくても普通に卒業できたので、もし今ぼっちで悩んでる人がいたら気にしなくてもいいです。あ、たださすがに過去問入手して友人たちと切磋琢磨してるやつらに比べると労力が必要になるので、成績がBC連発になるので、それだけは仕方ないね。

・筑波大学について
 個人的に筑波の物理に失望したというか、twitterでも書いたんですが、1年生の確か雑談だかなんだかの時だった時に主席になったやつに「なんでTgrRは東工大に行かなかったのか」と言われたんですよね。なんていうか、自分はACで入ったんで学類の一般のやつらと比べたら劣っていると、大学にはもっとすごいやつがいるもんだと思ってたんです。まあ話の文脈的には確か自分が志望は東工大だったんだけどACで受かったから~的な話だったから、お世辞も入った上での話だったと思うんですけど、やっぱりそれは自分にとっては失望するきっかけとなる一言だったなあと思います。それまでの演習とかでもあれ、もしかして周りはそれほど出来るわけじゃない?と疑ってた部分もあったんですがね。
 なんていうか、自分はACで入ったから一般入試組に比べて劣っている、才能あるやつがいる、そういう人たちに負けないように自分は勉強して頑張らなきゃいけない、そう思ってたんですよ。だから、自分は周りと比べて劣っていない、むしろ優れている部分もあるということを知ってしまって、元々の自分の調子乗りやすい性格もあるんですが、周りを見下すじゃないですが、失望してしまったんですよ。なんていうか自分よりもできるやつじゃなくて、とんでもなくできる、飛び抜けたやつを望んでいたんですよ。まあそういう飛び抜けたやつもいてそいつは留学生だったんですが。上を見る意識高い状態で自分のレベルは低く、周りのレベルもとてつもないほどじゃないということに耐えられなかったんですね。この意識高くて周りのレベルも低い状況でイチローなどの一流の人はそれでも環境に流されずちゃんと自分のために努力できるんですが、僕は弱き人間なのでこのような自由に耐え切れなかった感じです。もはやこれ完全に自分が勉強しなかった言い訳以下の愚痴なんですが、許して。blogだし。まあでもこうやって愚痴ってやらない言い訳探している間に主席のやつは周りの奴らと切磋琢磨して成績伸ばしてたんでどうにもならないです。まあだからこそ環境に言い訳ができないところに行くので、そこで本当に自分が才能あるのか、頑張れるのか、というのを知りたいと思います。

 愚痴が長くなりましたが、筑波大学の印象なんですが、これもよく言ってるんですが各都道府県のトップクラス公立高校の成績10番目あたりの人が来てる大学って感じです。わかりますかね。みんなチャラいのも含めて真面目なんですよね。ガチクズはいなくていい人ばかりの感じです。だからそういう人にとってはすごいいい大学だと思います。
 ただ逆に大学に行って刺激を受けたいって人には退屈なところだと思います。運良くそういう人と出会わないと。東京から離れて閉鎖環境な田舎なのも大きい。
 いやでもまあ、卒業した感想は悪くはないと思うけど最高ではないよね、って感じですね。周りはいい人が多いんで。高専から3編したサークル先輩も言ってたんですが、面白みはないと思います。真面目って感じですね。良い人が多いんだけどね…って感じです。あ、でも情報系のACはマジでキマってるんでそこに行く人は飽きないと思います。

・筑波大学の物理に向いてる人
上を見ずに自分の足元を見れる人。下手に東大京大とか上の人がいるんだと肩の力を入れると、自分のレベルの低さで失望するのに耐えられても、周りのレベルの東大京大レベルと比べた時の低さで耐えられなくなって死にます。ACや推薦で受験早めに切り上げるならともかく、大学に行って本当にできるやつに会いたいと思ってる人は浪人してでも東大目指しましょう。あそこは物理オリンピック金メダリストとかいて才能に会えるから。まあこれは自分の教訓ですが、あまり大学に対して期待を持ちすぎると落差があって失望してしまうんで、あまり希望は持たないように。むしろ周りの環境に希望を持つぐらいなら自分で頑張れるようにしましょう。


こんなもんですかね。気持ちいいとか上に書きましたが、自分の大学時代の負の側面と向き合ったんでだいぶ落ち込んでますが、後輩へのアドバイスというか参考にほんのすこしでもなればと思って、苦痛だけど公開しておきます。

2013年2月9日土曜日

卒論のアドバイスとか

院試合格してドヤ顔で院試勉強の方法書いた記事、院試の勉強法~合格者がドヤ顔で語る~がめっちゃアクセス数稼いでるんで、調子に乗ってまたドヤ顔で卒論終わった直後の今、後輩にドヤ顔で卒論を進めるアドバイス書こうと思います。ただ学類どころか研究室ごとに卒論の様式というか伝統というか求められるのは違ってくるんで、一般的な話として。

まあぶっちゃけるとこんな駄文読むよりやればできる卒論の書き方を読みましょう。僕もここのをかなり参考にしたんで。まあこれをベースにした体験談みたいな感じで書こうかと。心構えについては発声練習の卒論アドバイスね。naverまとめの春から研究室に配属される新四年生向けエントリー(主に理工系)あたりから辿って。

まず、卒業した先輩の卒業論文と修士論文が研究室のどこかに普通ならあるはずなんでそれ読みましょう。で、卒論って十中八九、教授なり上のスタッフからある程度テーマをもらうから、そこで先輩の卒論の構成を参考にして、自分の卒論で何を書かなきゃいけないということに目星をつけましょう。で、自分に足りない部分なりを勉強して、卒論の結果というかテーマの絞り込みをする前に結果と考察を除いた部分を書き上げましょう。テーマ絞り込みまで行っても使うであろう部分て大体同じだしね。この結果を除いて論文書き上げるテクニックってプロの研究者もやってるやつらしいんで、切羽詰らない余裕あるうちに理論背景と方法ぐらいは書き上げましょう。

まあ大抵は卒論をほとんどそのまんまやった先行研究があるわけですよ。完全に敗戦処理状態なんで、そこからどう曲がりなりにもオリジナリティを出すのか、そこに苦心してください。ちなみに僕は提出と発表の1週間前になって教授や講師の人からのアドバイスをもらってなんとかなりました。死ぬかと思った。

で、理論とか実験機器とか方法とかの卒論の一部分が書き上がった時点で人に見てもらって添削してもらいましょう。まだ教授とかのスタッフじゃなくて気軽に聞ける院生とか研究員の人とかがおすすめ。これ結構重要で、自分がやろうとしている方法が正しいというより間違っていないか、ということを卒論に本格的に取り組む前に確認しておかないと終盤になって、教授から「え、その方法はだめだよ」って言われて死ぬことになります。

書き方のコツはまあリンク先の通り。書きやすいところから書いて、飽きたらYouTubeでも見てまたそれにも飽きたら、また別のセクションでも書きましょう。

ああ、書くの忘れてたけど大抵の理系ならTeXで卒論書くはずなんでTeXにも慣れておいてね。特に図の挿入とか表とかは結構面倒くさい。まあ奥村さんの本買って、ついてるCDでインストールすりゃTeX環境は出来上がるから。でも大抵の研究室の本棚にはあるか。




あとですが、図は本とか論文とかのを引用する以外の自分で描く図は相当時間かかると思って。貧乏人だからinkscapeで描いたけど、1つの図で半日潰れるとか慣れてないと普通なんで、全部の図を揃えるのに1週間ぐらいは見込んでおいたほうがいいと思う。Illustratorとかに慣れてればいいんだけどね。

ミーティングとかで卒論進捗報告して教授が逐一面倒見てくれる面倒見のいい人だったらまあここまで心配しなくてもいいんだけど、放任主義な人だと自律してある程度自分で計画立ててやんないと死にます。書けるところは早めに書いて余裕を持ちましょう。教授とかの介入で結果からの考察部分が丸々書き換わることがかなりの確率でありうると思うので。


である程度書き上がって教授に添削をお願いする前に
卒業論文・修士論文自己チェックリスト
を使って細かい図や表の入れ方、語句の間違い、等のどうでもいいところを自分で添削してから添削をお願いしましょう。図のキャプションは図の下、表のキャプションは表の上につけるって常識かな? あと参考文献の書き方とか。APAのcitation styleがデファクトスタンダードだからよくわかんなかったらそれ参考に。まあ学会ごとの書き方のスタイルがあったらそれ優先だけどね。
APA Citation Style


重要なことは、書き上がって人に見せて添削してもらいましょう。一人で書き上がるなんて思い上がりもいいとこ。どんどん人に頼って楽するぐらいの気持ちで。まああまりにも頼りすぎはいろいろと言われるかもしれないけど、適度に人に頼りましょう。なんてったてまだ研究初心者だし。卒研を通じて学びましょう。

ここまでが卒論を仕上げるテクニック編。心構えとか精神編。
まあはっきり言ってしまえば卒論は研究活動への参加賞だと思ってます。発声練習だかどっかにあったけど、卒論を通じて研究のプロセスとかそういうのを学ぶためであって、結果は求められてない。ちなみに修論は努力賞、博論は結果だそうで。
卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう
発声練習の人はこの他のエントリーも面白いんで卒論やる前に読んでおくといいかも。

あと書くの忘れてた。謝辞。普通の論文とかだと論文に直接協力してくれた人だけを書くらしいけど、卒論はまあそこまで縛られないからいろいろと裏事情とか書いちゃうと他分野の人が読んだ時に面白いと思う。~さんにご飯おごってもらってとかの研究室生活での話は面白い。アニメキャラが精神的支えになってくれました、的なのを書く人も(ネット上を見る限り)いるけどそういうおふざけも許されるならいいんじゃない? 唯一適当に書ける場所だし、感謝しつつ反省文みたいなもんだと思ってた。

うーんこんなもんですかね。今回、僕は研究室での同期の中ではたぶん一番余裕を持って卒論書いてたと思う。まあこれは、高校の時にも卒業研究やってて、ある程度経験値持ってたからってのがある。それでも終盤はやばかったんだけどね。

ちなみに同じ学類でたぶん同じ研究室に行くであろうサークルの後輩に提出用予備の本論あげたら、「サークルの部屋に置いておくんで著者のサイン書いてくださいよ」っておだてられて、調子に乗ってサイン入りの卒論を作ってしまいました。

2013年1月17日木曜日

ガルパンのサントラを聞くと卒論が捗る件

ガルパンのサントラ買ってた。買ってよかった。金管楽器が多くて雑念が払われて集中力が上がる感じがあって、すごい卒論作業用BGMに最適。捗る。

アニメ見ればわかるけど、全体に金管楽器を使った曲が多い、というか印象に残る。個人的には2枚目のCDのほうの他校のテーマ曲のほうが好きな曲が多い。聖グロのテーマ曲のブリティッシュ・グレナディアーズとか、サンダース戦で追いかけっこのシーンでのM4シャーマン中戦車 A GO! GO!とか。というか各チームのテーマ曲が好き。大洗だったら大洗女子学園チーム前進します!とか乙女のたしなみ戦車道マーチ!とか。というか曲名書いて気づいたけど、CD1枚目のほうの曲ってほぼ全てに!がついてるな。

あとカチューシャのfullとあんこう音頭のfullが聞けるのもよい。

みんなもガルパンサントラ買って聞いて卒論捗ろう。




2013年1月7日月曜日

マインド・タイムを読んで

「ええ、あああ、その、リベットの実験って知ってるかしら」
「いいや」
「ベンジャミン・リベットはアメリカの神経生理学者よ。リベットの実験というのは、こういうもの。被験者に関して測定されるポイントは三つ。体のどこでも良かったのだけれども、とにかくそこを動かそうと決定した時間。そのときは指だった。」
「二点目は」
「指を動かすために、脳が動作の準備に入るその電気的活動が発生した時間。準備電位と呼ばれるものよ。三点目は、実際に指の筋肉が動かされた時間。これらを測定した結果、世界をひっくり返すような事実が判明したの」
「少なくとも、まだ世界は裏返ってないようだが」
「誰も深刻に受け止めていないからよ。だって、被験者が指を動かそうと決意するよりも前に、脳はそのための準備を始めていたんですもの」
「……何だって」
「行ったとおりよ。」指を動かせと意識が命令して、指が動くのではないの。意識が指を動かそうと思うより前に、脳はその準備に入っているの」
「馬鹿馬鹿しい」
「いいえ、残念ながら七〇年代から八〇年代にかけ繰返し追試されてきて、最早動かしようのない科学的事実なのよ。この実験の解釈は様々にあるわ。人間の自由意志を否定するもの。意識は後付で行動を追認または否定しているに過ぎないというもの。それから、それはごく狭い見方に過ぎず、実験は意志決定という巨大なプロセスの全体を測定できていないのだというもの」
「意識は後付で行動を追認しているに過ぎない、とはどういう意味だ」
「たとえば、私が貴方あの頬をつねるとするわね。貴方は痛みを感じるでしょう。でも痛みというのはね、体の部位にもよるけれど、脳に到達するまでにだいたい〇・五秒もかかっているのでも、貴方はつねられた瞬間に痛みを感じているように錯覚する。つねられたと同時に痛さを感じているかのように『感じている』。でもそれはね、脳が刺激を受けた時間軸を編集しているからなの。〇・五秒遅れた世界を、〇・五秒戻してやってから意識に送り込むことで、擬似的なシンクロニシティを作り出しているからなのよ。今現在、なんてものは存在しない。視覚も、味覚も、触覚も痛覚も、その処理速度はばらばらよ。私っちが日々見て、感じている世界の統合された瞬間瞬間を脳内に作り上げるには、コンピュータと同じでそれなりの処理時間が必要なの。それらばらばらな情報をまとめ上げて、あたかも『今現在』とか『この瞬間』とかが存在するかのように錯覚させているのが、私たちが『意識』と呼んでいる機能の一部ってわけ」
「じゃあ、意識は肉体と無意識で出来た自動人形の見ている、単なる夢だっていうことなのか」
「もちろん違うわ。意識は判断し、行動を調整することが出来る。ただ、意識がなくとも出来ることというのは実は多いの。人間は何から何まで意識して体を動かしているわけじゃないでしょう。キーボードをたたく指の一本一本、アスファルトを踏みしめる歩みの一歩一歩。そういうのは単純な例だけれども、でも音楽演奏を初めとする、かなり広範囲の文化的創作行為が、実は意識の介在なしに行われているとする研究は存在するわ」

伊藤計劃:From the Nothing, With Loveより。この中で出てきたリベットの実験が気になって、ベンジャミン・リベットが書いたマインド・タイムを図書館から借りて読んだ。とてもおもしろかった。ハーモニーを読みなおそうと思う。

内容としては、上の引用のように、
・人の意識は0.5秒以上の継続的な刺激がないと「気づか」ない。(タイム-オン理論)
・この「意識」するための0.5秒分の刺激を受けた後、主観的な遡及、時間のさかのぼりが起こる。つまり0.5秒がトリガーとなって0.5秒分時間遡及が起こる。そのため、0.5秒間脳の感覚皮質に刺激を与えている間に手の皮膚へ刺激を与えると、単純にそれぞれ0.5秒ずつ遅れて皮質の刺激→皮膚の刺激の順ではなく、皮膚→皮質という順に感じられる。
・この0.5秒に満たない刺激では人は「気づか」ないが、実は「気づい」ている
・2つのランプが順番に点灯しているうちに脳へパルスの刺激を送り、どちらのランプがついているときに刺激が来たかという実験をする。全く刺激を送っていない時では当たり前だが50%に近い数値であったが、刺激の持続時間が0.5秒以下の「気づい」ていない場合では、推測にも関わらず正答率は明らかに50%を超えていた。
・これは、「おそらく、いかなる種類のアウェアネスも現れないうちに、すべての意識を伴う精神事象が実際には無意識に始まっている」ことを意味する。
・感覚信号に対する迅速な行動、たとえばスポーツなどにおける運動反応は無意識のうちに行われている
・人は自由で自発的な行為の550ミリ秒前に脳は起動プロセスを示す。しかし、行為を実行しようとする意識を伴ったアウェアネスが現れるのは、その行為のたった150から200ミリ秒前、つまり行為を実行しようとする自分の意志や意図に気づく400ミリ秒前に、自発的なプロセスは無意識に起動する。

など。本文中ではさらにどのように意識が脳の中で現れるのかについての考察、自由意志や決定論についても言及している。結構内容的に難しいと思った。しっかり1行1行読んで考えないとしっかりとは理解できないタイプの本。でも、重要なところは太字で強調されてるからそこ流し読みでもおもしろいと思うけどね。実際、読んだけど上の要約のように実験に関してはなんとなくわかったけど、自由意志とか意識的な拒否とかの部分は複雑で新書よむぐらいの感覚で読んでたからわからんかった。もう図書館の期限もくるし難しいね。

意識の遅延は実際に生活していても、お湯が跳ねてかかったときとかで感じるからわかりやすいけど、主観のさかのぼりと無意識、意識が起こる前に無意識に始まっているという部分はやっぱりにわかには信じがたい。けれでも、すごくおもしろい。

無意識の知覚(サブリミナル知覚)ってパソコンでいう常駐ソフトとかバックグラウンドで動いているプログラムみたいなもんだと思った。バックグラウンドでは思考していて、結果が出るとひらめきとして意識上で気づく。アイディアが思いつく三上、枕の上、厠の上、鞍の上みたいにリラックスしてるとそのバックグラウンドから結果が出てくると解釈ができるなーと思った。そのためにバックグラウンドで起動するようにある程度詰め込まなきゃいけないのかなと思ったり。

それこそ、上の伊藤計劃風に言えば「擬似的なシンクロニシティ」に生きているということを「意識」し始めると自分の意識、自由意志についていろいろと思っちゃう。自分の意志、意識とはなんなのか。意識は無意識の後に始まるってその無意識はどっから来るのか。

自分の「意識」について考えたくなる一冊。ただすごい科学的に書かれてて、アウェアネスなど独特の単語があって読み物としては固いし、何より高い(笑)。ただもちろんリベット自身が書いているからリベットの実験がどのようにして行われたのかということに関しては詳細に理解できる。図書館で借りるのが無難か。この本の訳者の下條信輔が書いた新書の「意識とはなんだろうか」も読んでみようかな。



2013年1月6日日曜日

2013年予想

たぶんここ6年ぐらいずっと毎年1月にその年を適当に予想(願望込み)してるんで、今年も書きます。

1. 夏の参院選でねじれ国会は解消するが、かろうじて過半数程度でどう評価したらいいか微妙な状況になる。あと投票率は衆院選並の低投票率。
なんか安倍がまだ何もしてないのに猛烈な勢いで円安に向かってるけど、そのまま制御できないままに円安で日常品の値段が上がって、円安の恩恵受ける前に死にそう。ただ経団連あたりからは円安でよかったよかった的な話も出てきて、もう円高がいいのか円安がいいのかわけわかんなくなる状況になる。で、政治とかもうどーでもいいわーという厭世気分が出て、低投票率。もう安倍は評価できねえよただ衆議院で議席取りすぎたという勢力と自民の組織票で組織票がなんとか勝利。ただ、それで内部から安倍だから微妙な結果になったんだろって声が出始めたら、またストレスで腹壊して年内退陣ありうると見る。

2. tumblrがブーム
twitterでいう08年から09年ちっくな感じになってきたから、ここらへんで一気にtumblr人気爆発あるか。まあこれ以上人増えて、隠れ家的雰囲気がなくなるのもどうかと思ってるから、どうでもいいけど。

3. 大田が6番あたりに定着
同い年だからマジで活躍して欲しい。松井が引退したし、55番の継承者としてそろそろ実力を見せてくれ。成績予想は.250 15 50 ぐらいか。あと橋本もそろそろセンターに定着して。この二人が一軍定着してくれたら優勝できなくてもいいや。

4. ハワイへ出張複数回
確実に1回は行くはず。プロポーザル通して自力で行きたいすなー。

5. なんかよくわかんないけど、2012年と違って平穏に過ごせなさそう
2012年は一応、でかい地震事件とかなく終わったけど、なんか今年はそうはいかない気がする。NHK民放全部それ特集的な何か。気のせいだといいんだけど。

6. 大学卒業します
はい

7. PANSTARRS彗星、ISON彗星が肉眼彗星となって話題に
見たい

8. シャープのに続いてパナソニックあたりが死にかかってソニーあたりと合併。あといろんなところで業界再編が起こる
まー合併は飛ばしすぎだけど、家電とかパソコンとかそこら辺のメーカーは死にそう。この先、日本が何で食っていくのかが見えない。

9. 東アジア情勢は平穏
日中韓と指導者交代で就任いきなりからは飛ばさないでしょ。安倍も麻生から外交と領土は触るなと言われてるらしいから、竹島の日も靖国参拝もやらねーだろ。+やヤフコメあたりからは確実に売国奴土下座野郎とは言われるだろうなー。ただ中国と石原あたりが挑発しまくった時が見ものですな。北朝鮮は人工衛星飛ばしたけど、このあとまた核実験やるかね。

10. アニメのトレンドは去年からのオリジナルと小説の流れ
ラノベと漫画が枯渇したからね、仕方ないね。ビビッドレッドオペレーションは当たるかねー。大正義A1とアニプレックスコンビだから話題にはなるだろうが。逆に京アニブランドがどうなるか。餅屋が微妙だったらジリ貧だろうな。

2013年1月5日土曜日

「きっと何者ににもなれない」とは何か。

冬コミで友人のところに寄稿というか書きたいこと書けよと言われて、ピングドラムの「きっと何者にもなれない」ということについて書いたのでブログにも転載しときます。

 ピングドラム大好きなんで語ります。放映前の「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というフレーズだけで全部見たんだけど、本当によかった。泣いた。一度自分のブログで好きなだけ(読みにくい文章で)語ったんで、それを読みなおしつつまた語ります(ブログで追記:このブログでのピングドラムのラベルがついた記事)。これも読みにくいと思うけど。ピングドラムについての僕の解釈、ってことで。

■ 「きっと何者ににもなれない」とは何か。作中では親から愛されない、捨てられた子どもたちはこどもブロイラーに行き、そこで「透明な存在」になる。親から愛されなくなった陽毬、多蕗はこどもブロイラーに送られた。桃果が多蕗に「私のために生きて!」と言ったように、晶馬が陽毬に「運命の果実を一緒に食べよう」と言ったように、誰かに繋ぎ止めてもらわないと、愛されない子どもたちはこどもブロイラーで「透明な存在」になる。だが、それは作中だけの話ではない。幾原監督のブログから引用する。
あるとき、テレビで見た少女が言った。
「世界は「選ばれる人」と「選ばれない人」の二種類しかいない」
ドキッとした。
「選ばれないことは死ぬこと」と少女は言った。 *1
選び選びとられるという関係。人は人を選び、人に選ばれて生きている。人生の最初のステージである家族を除けば、友人として誰かを選び選ばれ、恋人として誰かを選び選ばれ、先輩後輩上司部下として誰かを選び選ばれ、生きている。それが世界との繋がりだ。人との繋がりを通して人は世界の存在を認識し、自分の存在を認識されている。繋がりがなければ、孤島で孤独に生きるということと同じだ。孤島で孤独に生きている人がいたとして、その人を誰が認識できるだろうか。その人は誰を認識できるだろうか。その人はこの世界にはいない、「透明な存在」なのだ。透明では鏡を見ても自分の存在を認識できない。誰かが色を付けてくれなければ、自分の姿ですら見ることができない。他人と繋がらなければ、自分はどのような人間なのかを理解することができないのだ。どんな人間なのかを理解して、何のために生きるのかということを考える。それは世界と繋がらなければ、わからない。
 人生において最初に繋がりを与えてくれるのは選ぶことのできない親だ。親と子どもという関係で親を通じて世界と繋がっている。親の愛情を受けて世界と繋がっているうちに、人は誰かとの繋がりを得る。親が死に、最初の繋がりがなくなっても親の愛情を受けた子どもは誰かとの繋がりを得ているから世界と繋がり続ける。だがピングドラムの主要登場人物、晶馬、冠馬、陽毬、苹果、多蕗、ゆり、真砂子は親の愛を失った子どもたちだ。登場人物は皆、親の愛を誰かの愛を求め、もがいている。世界が、世界との繋がりが、見えなくなりつつある晶馬たちから見た世界は、ピクトグラムの人間が背景の世界なのだ。彼らから見た世界は灰色の世界、氷の世界。輪るピングドラムは親の愛を失った子どもがまた愛を見つけ出し、生きていくという話なのだ。

「きみと僕は、あらかじめ失われた子供だった。でも、世界中のほとんどの子供たちは僕らと一緒なんだよ。だから、たった一度で良い。誰かの愛してるって言葉が必要だったんだ」
「そうね 」たとえ運命がすべてを奪ったとしても、言葉や記憶が消え去っても、愛された子供はきっとまたしあわせを見つけられる。桃果が、ゆりや多蕗に残してくれたもの。それがあるから、ふたりはこの答えに辿りつけたのだ。
誰かとの繋がりによって僕らは自分の存在を認識し、世界を認識している。誰かの愛がなくては僕たちは生きていけない。「きっと何者にもなれないお前たち」というのは、愛を失い、誰かとの繋がりを失い、この世界が見えなくなった人のことを言うのだと僕は思う。自分は何者であるのか。その答えを与えてくれるのは他人である。繋がりを失い、自分は何者であるのかを失いそうになった時に世界に繋ぎ止めてくれるのは、桃果が多蕗とゆりに差し出した手のように、誰か一人のためだけに差し出された愛なのだ。

■ 輪るピングドラムを見終わった後、僕の中で涼宮ハルヒの憂鬱に対する見方が変わった。ハルヒは自分が特別ではないことを知ってしまったから、行動を起こし、SOS 団を作り、自分は特別だと思おうとしてる。納得したがっている。自分は何者であるのか。中学生のころから様々なことをしても面白いことはやってこない。憂鬱だ。世界は灰色で壊すべき世界だった。だが、ハルヒはキョンと SOS 団のメンバーと出会った。キョンとの繋がりによって世界は灰色ではなくなった。「きっと何者にもなれな」かったハルヒは何者かになれたのだ。涼宮ハルヒの一連のシリーズはハルヒから見ると、自分自身が何者であるのかを探そうとし、キョンという特別な存在を得ることで自分が何者であるのか知るという話とも解釈できると僕は思った。

■ とまあここまでgdgdと語りましたが、どうでしょうかね。ピングドラム作中で語られた愛は受け手も大事って話とかオウムとの関連性とか運命と呪いと愛の話とかもしようかと思ったけど、まとまらなくなりそうだからやめた。ピングドラム好きな人はピングドラム小説版と公式完全ガイドブック買おう。藤津亮太のコラムがおすすめ。あと直木賞取った辻村深月が幾原監督と対談してて、その後のコラムも結構好き。

*1 http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=417
*2 輪るピングドラム小説版下巻 p232