2015年8月30日日曜日

ニセ科学批判は批判した時点で「科学的」ではない

んだよなあ。

ニセ科学をやめろと言うのはロビーイングであって科学的な活動ではない、政治活動でしょう。さらに言ってしまうと、何を批判したか(逆に言うと何を批判してないか)というのも十分に政治的要素を含んでいるわけで、ニセ科学と呼ばれる手法が従来の考えから論理的に考えて(というか常識的に)おかしいか、という正誤の問題やデータで決着がつくところというのも、実は広義的には政治活動と言っても問題ないと思う。

というか科学者って社会的に立場ある者なわけで、その発言って多かれ少なかれ政治的要素を含んでるじゃないか。科学者だから政治活動とは距離を置きたいと思っているから、自分の中で思っている科学的な活動(ニセ科学批判)をするわけなんだけど、実は政治活動をしてて、その政治的スタンス(何を批判したか)を批判されるとムカムカしちゃう。

極論を言ってしまうと、日本で理系の地位がなぜ低いのかという問いに対する答えは、理系が政治に不感、何が政治で自分たちの立場が社会の中でどういう立ち位置にいるのかを把握していないからではないかな、と思いました。政治に不感だから政治に敏感な文系に利用されちゃったり、支持を集められなかったりしてそれが理系の立場が低いのにつながってるのかな。

あ、別に科学者が政治的発言するなとか政治活動するなとか言っているわけでなくて、なんだかんだで科学者の発言や意思表明というのは「科学的」であっても社会的には重みや政治的意味を持つので、自覚的でありましょうというお話です。

某スタッフがなぜ天文学を選んだのかという問いに対する答えとして「役に立たないから」と言ってたのを思い出しました。役に立たない学問であるからこそそういう政治的要素からは限りなく離れられるんだろうなあと思う。ただTMTのハワイの問題やお金の問題もあるし、結局どこまで行っても科学者は政治からは逃げられない。